baiksajaの日記

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 インドネシア旅行記(5) 〜 クラカタウ (1)

 クラカタウと言えば日本人でも名前は聞いた事のある人が多いと思う。インドネシア最大の島スマトラ島とジャワ島の間のスンダ海峡に位置する活火山である。1883年8月に大噴火を起こした。続く大津波がインド洋沿岸に大被害をもたらし、未曽有の人命を攫ってしまった。津波は地形や水深の影響が大きいので一概には言えないが、高さ13mの津波、という記録もあるらしい。津波は日本まで来襲した。噴火による気圧変化は東京でも観測された。更にその噴煙は成層圏にまで上がって地球を覆い尽くし、その後三年間に亘り地球の温度が下がってしまったと言われている。その影響で日本では翌年の1884年に冷夏による大凶作に見舞われた。その3年間は成層圏を浮遊する火山灰の影響で、地球上の何処からも太陽が赤く見えたそうである。その大噴火で大きな火山島が一つ吹き飛んでしまい、海底に十数平方キロに及ぶ広大なカルデラが形成された。今一般にクラカタウ島と言われるのは、当時吹き飛んだ島の名残の小さな島の近くに、今世紀に入ってから頭を出し始めた、海中から徐々に形成されている溶岩島のことである。未だに毎年10m位ずつ山頂が成長を続けているそうだ。
 インドネシアに住んだからには一度は見てみたい、とずっと思っていたが中々チャンスがない。当時は未だ西ジャワには高速道路もなく、ジャワ島の西端のメラックやアニェールに行くには陸路、昼間なら10時間掛るのも珍しくない大渋滞を覚悟しないと行けなかった。それでも大分インドネシア語にも自信のついた或る週末にアニェールの更に10キロ程南西に位置するチャリタというリゾートに泊まり、翌早朝漁船をチャーターしてクラカタウ見物に出かける事にした。地図ではこの辺りから行くのが一番距離が近かったのである。
 浜辺で漁から戻って来たばかりの適当な漁船を見付けて交渉し、前金で代金を支払うと、やおらそれから燃料を買いに行く。その日のうちにはジャカルタに戻らないといけないので、午後1時までにはクラカタウを一周して浜に戻る約束でチャーターしたのだが、出発は何だかだで朝の8時を回ってしまった。間に合うかと確かめると、大丈夫、往復4時間だという。


(この船よりはもう少し大きかったが、同型の船をチャーターした)
 それで出発したのだが、暇な漁師が物見遊山で沢山乗り込んで来てクルーは5〜6人、一瞬ぎょっとした。何故なら、客は僕一人、カメラやビデオを持っており、現金も彼等から見れば大金を持っているのを見られているので、海に叩きこまれたりするのではないかと暫く緊張した。が、皆田舎の気の良い漁師達で、心配は幸いにも杞憂であった。しかし、そのまま僕が失踪したとしても不思議はない状況であった。
 暫く走ると遠くに緑の木に覆われた小さな島が小さく見えて来た。あれがクラカタウだという。未だ緑もない島だと聞いていたので不信に思ったが、他に島らしいものも見えないし、地図で見た方角とは一致していたので、とにかく彼等を信じてその島めがけてひた走った。

(漁師達がクラカタウ島と称した島)

 しかし船足は遅く何時まで経っても近付く気配がない。段々陽は高くなり、波も大きくなってくる。船は両側に竹のフロートを付けた、屋根もない、カヌーに毛の生えたような、小さな船外機の漁船である。沖に出てからは帆も張ったが、余り役に立っているようにも見えない。時間もさることながら、波が大きくなってきて段々不安になってきた。しかも、彼等がクラカタウと称する島は一向に近付かないのである。実はスンダ海峡は潮の流れが速いので有名な海峡だったのだ。小さな船では潮に流されて殆ど進んでいなかったようである。そのうちに11時も回ってしまったが、相変わらず彼等称するクラカタウは近付かない。本当に1時までに戻れるかと確認したら、大丈夫、今日中には戻れるさ、と悪びれずにニコニコしている。彼等は陽気に冗談を言い合っては笑い転げている。結局僕は諦めて引き返す事にした。帰りの船足は潮に乗って早く、1時頃には浜に戻れた。後から分かったのだが、上の写真の島はクラカタウの兄島と呼ばれている、1883年の大噴火の際に残った、島の残骸の一つだったのだ。僕のクラカタウ観光はこうして失敗に終わり、次のチャンスを待つ事になる。(続く)