baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 インドネシア特有の車の板金

 大分陽が長くなって来た。夕方出かけたら、未だ薄明るい空に三日月よりも薄い月が美しかった。そしてその傍に明るい惑星が、まるで月の護衛のように輝いていた。正月の頃はその位置関係がマスジッド(モスク)を思い出させたのだが、今は星が少し下がってしまった。それでも、マスジッドを想い出し、インドネシアを想い出してしまう僕なのだ。今日は何を書こうか、そう.....

 インドネシアには車の板金を手作業でやる職人がジャワ島東部のスラバヤ近郊に沢山いる。日本の1500cc位の中型車の外観を簡単にクラシックカースーパーカー、スポーツカーに変えてしまう。日本から自動車メーカーのエンジニアが来てその高い技術と職人の多さに驚いていた事がある。鉄板から手で叩き出してボディーを作って行くのである。日本にはもうこの仕事の出来る職人が殆ど残っていないのでプロトタイプを作る時は大変である、と言っていた。
 ホンダのアコードをベースにしたデューセンバーグまがいのオープントップ、ツーシーターを街で見たときには正直吃驚した。独立型のヘッドランプにご丁寧にクラクションのラッパまで付いている。こういう車を日本に輸入して売れば結構人気が出るのではないかと思ったりもした。そうしたら日本にも光岡自動車のような会社が出てきた。後から分かったのだが、インドネシアの手作り自動車は重量が重すぎて余り実用的ではなかったようだ。
 しかし、他国には絶対にないと思うのが独特の板金修理である。「トップマジック」と「ケトックマジック」という二系列がある。凹んだ外板を人間の持つ「気」で元に戻すのである。この看板を掲げた店を開くにはそれなりの、生まれつき素質のある人間が師範に付いて、最低3年は中部ジャワの山に籠って自分の「気」の力を強めるのだそうだ。あるレベルに達すると免許皆伝となり、晴れて自分の店が都会に持てるようになる。但し引きうけるのは板金だけで塗装はやらない。修理方法は、凹んだ場所に手を翳して「気」を出すと、凹んだ場所が熱くなってきてある時点で一気に元に戻るという説明である。この話を聞けば吸引するという方法が直ぐに思い浮かぶが、跡形もなく鏡のように滑らかに綺麗になってしまうので吸引とも違うように思える。
 まぁ、およそ日本人には信じられない話なのだが、実際に経験してみるとあながち嘘とも言い切れない。僕は二度世話になった。一度は自分で運転していて僅かではあるが社有車のドアを凹ませてしまった。未だ若い時で、会社では駐在員の運転を禁止していたので公にすれば面倒な事になる。思い余って、それまで馬鹿にしていた近所のトップマジックに持ち込んだ。外から見えないように高い塀で囲ってある修理場のドアを開けて貰って中に入ると、一際高い所に神棚のようなものが祭ってあって蝋燭が焚いてある。異様な雰囲気だが従業員は少ない。車の修理を頼むと、僕には修理している処を見せられないので20分したら取りに来い、それまで何処かへ行っていて呉れ、とのこと。インドネシアの20分だしドアの板金なら内張りを外す丈でも20分では終わるまい、さて何分待たされることやら、と思いながらも取り敢えず20分経ったので戻ってみた。するともうキレイに直っている。嘘のようだが傷の跡形もない。本当にマジックのようだった。
 もう一度は僕が生涯ただ一度起こしてしまった他人を巻き込んだ交通事故なのだが、赤信号の渋滞で前方不注意で前の車に追突した。大したスピードでは無かったが後ろのフェンダーが凹んでしまいトランクも閉まらなくなってしまった。こちらが全面的に悪いのでとにかく修理して貰う事にしたのだが、短時間で安くて綺麗に直るからトップマジックを使ったらどうかと提案した。相手はマレー系のインドネシア人だったので、トップマジックを嫌がった。トップマジックは魔法を使うという触れ込みなので、イスラムの人は嫌がるのである。アラー以外の神を認めないイスラムにとっては、魔法を使えるのは悪魔(シャイタン=setan)しかいない。結局ご随意に、という事でその日は分かれたが翌朝自宅に相手の車が訪ねてきた。件の車はもうすっかり跡形もなく直っている。トランクも何の支障もなく開け締め出来るようになっている。結局ディーラーで直すと時間も費用も膨大に掛るのでトップマジックに行ったそうで、その数千円の費用の請求に来たものだった。やはり40分程で直してくれたそうだ。
 更には日系の合弁会社の社長車の話もある。日本の本社から何年ぶりかで視察に社長が来ると言うので、それまで倹約して長い事使っていた古い車を思い切って新車のベンツに代えた。それから三週間、社長が来るまで後二週間、と言う時にジャカルターバンドン間で大事故を起こしてしまい車は大破してしまった。地元のベンツのディーラーに相談したが、一ヶ月半は預からないと直せないと断られ、現地の社長は真っ青である。僕がトップマジックを紹介し自分の経験談を話してあげたら、早速藁にもすがる思いで持ち込んだそうだ。流石に三日掛ったそうだが、ディーラーがお手上げだった車がすっかり元通りになって戻って来たと大喜び、直ぐに塗装だけやり直して社長が来た時には何の問題も無くご機嫌で帰って貰えたそうだ。現地の社長には後から本当に感謝された。
 作業を見せて貰えないので未だ少し半信半疑ではあるが、物理的に時間の掛る仕事も短時間で終えるし普通の板金では手に負えない修理も簡単に安価でやってしまうのは事実である。一般のインドネシア人は皆魔法であると信じている。