baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 久しぶりに年寄りの小言

 今日は大学の同窓会があり、昼過ぎに家を出た。休日の昼だと言うのに、腹に据えかねる事が色々と重なった。余り小言を連ねると年寄りの僻みと嫌われそうなので暫く我慢していたが、ここの処余りに色々重なるので今日は少し小言を書こう。
 最近の出色は10日程前に普段乗る郊外電車の車内での出来事である。僕が最寄りの駅から電車に乗った処、目の前でうら若き女性が携帯でお話し中である。多少は気を遣ってか小声ではあるが、それ以上に恥じらう風もない。一駅過ぎ二駅過ぎても未だ喋っている。決まりは決まりであろう。年寄りは堪忍も若い人程保たないので、ついに言ってしまった。「電車の中は携帯電話は禁止でしょう」「はい、すみません」。ところが彼女は一向に電話を切らない。平然とお喋りを続けている。こちらがブチ切れそうになった時に、電車は次の駅に滑り込み、件の女性はその駅で携帯で喋りながら下りて行った。どんな神経なのであろう。未だ20歳そこそこの、見掛けは普通の可愛い女性だったのだが。
 そして今日。今日は色々あった。先ずは最寄駅の跨線橋での事。赤ん坊を乳母車に乗せた若い母親とその友人らしい若い女性が立ち話をしていた。僕は改札に向かって歩いていると、突然その女性達が乳母車を押して動き出した。僕の目前で僕の進路に飛び込んできた。僕は慌てて立ち止まったが、彼女たちは何事もないかのように僕の目前をお喋りを続けながらゆっくりと横切って行った。郊外の私鉄駅の跨線橋での事、何人も人は歩いていないのに全く周囲に気を遣わない、世界には自分達しかいないという風情であった。
 そして乗った電車では、二駅目で随分混んで来た。ところが吊革に掴まっている僕の横の、これまた若い女性は何故か頑張って足を踏ん張って、少しも混雑緩和に協力する風がない。なにやら難しい顔をしてi-Phoneを覗きこんでいる。何をしているのか横から覗いたら、携帯ゲームの麻雀に夢中なのであった。この女性も麻雀に没頭していて、全く周囲に気が及んでいなかった。
 ターミナルに着いて、僕は携帯スイカで改札を通った。僕の携帯は少し鈍いようで、時々改札でタイミングが遅れる。今日もほんの、何分の一秒か、タイミングが遅れてしまった。決して僕が遅い訳ではない。ところがその何分の一秒の遅れで、次の人が僕の指に物凄い勢いでプラスチックのカード入れをぶつけて来た。激痛が走った。驚きと怒りで後ろを振り返ったら、大学生と思しき細長い若者が携帯でお話し中で、僕の指に痛い思いをさせた事すら気付かない風に虚ろな目であらぬ方を眺めながら歩いていた。ぶん殴りたかったが、人混みでもありグッと堪えた。指は幸い出血には到らなかったが皮が切れていた。
 そして乗り換えの階段を上っていたら、上から夫婦ものが下りて来る。旧い階段で途中天井が低い処がありその下が柵で囲ってあるので、歩ける所は酷く狭い。そんな階段を、赤ん坊を亭主が抱き、上さんがベビーバギーを開いたまま小脇に抱えて、二人並んで下りて来た。その上さんが話に夢中になって、丁度僕の2段位上に来た時にいきなり亭主の方を振り向いた。振り向くのは良いが、上体ごとふりむくものだから避ける間もなくバギーの汚ない車輪がまともに僕の上着を擦って行った。上さんはその事にも気付かない風で、何事もなかったかの様に階段を下りて行った。僕の子供が小さかった頃は、電車に乗る時も人混みを歩く時も、ベビーバギーは畳むのがエチケットであったが、いつの間にか開いたままで電車に乗ったり人混みを歩くのが普通になってしまった。それは仕方がないが、今日のバカ女には腹が立った。自分たち家族の周りには誰もいないと信じている風であった。
 階段を上がり切って次の電車の改札に向かって歩いていると、前を携帯で話しながらフラフラ歩いている、またしてもうら若き女性が何かを振り回している。人混みの中なのですぐ近くを人が通り過ぎている。畢竟気になって何を振り回しているのかと見たら、i-Podか何かのイアフォンを指に引っ掛けてグルグルと振り回していたのである。右に回し左に回し、グルグル、グルグル。半径30〜40cmもあるから、自分の身体から30cmくらいはみ出してイアフォンが回っている。イアフォンだから当たっても怪我はしないだろうが、周りに大勢の人が行き来している事が全く意識されていない。
 何時も人混みでイライラするのは、僕が少し神経質過ぎるのかも知れないが、少なくとも僕は上に書いたような無神経な事はしていない。どうしてこんなに自己中心的な人が増えてしまったのか、どうして周囲に気を遣わなくなってしまったのか。色々考えた末に思い到った最大の元凶は、携帯の普及による以前はお喋りやメール、今はそれに加えてゲーム、そしてi-Podに代表されるイヤフォンである。自分の時間を有効に使うのは結構だが、それは飽くまでも周囲の人に迷惑を掛けないのが前提である。公衆道徳というものをもう一度日本人に思い出して欲しいものである。特に、これから子供を育てる世代には、世界は自分の家族を中心に回っている訳ではないという事を子供に重々躾けて欲しいと切望するのである。