baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 君が代強制訴訟

 東京都立校などの教職員400人が、入学式や卒業式で日章旗に向かって起立し、国歌斉唱するのは義務ではないと、損害賠償などを求めた訴訟に対する東京高裁の判決で、都教育委員会が逆転勝訴した。原告側は入学式や卒業式で「教職員は国旗に向かって起立し国歌を斉唱する」とした都教委の通達を「国旗や国歌の一律の強制は憲法が保障する思想・良心の自由を侵害する。教委による不当な支配に当たり、教育基本法にも反する」と申し立てたのに対し、2006年に東京地裁はその通達を、「思想・良心の自由を侵害する行き過ぎた措置」として都側を敗訴とし、尚且つ一人3万円の損害賠償支払いを命じたそうである。法律の事は良く分からないが、分かるのは、地裁レベルには時々とんでもない左翼思想の裁判官がいると言う事である。
 教職員が日本人である事を自ら卑下し、日本の国体を否定するような訴訟を起こす事、そしてその訴訟に対して地裁がその主張を認めると言う今の日本は、本当に自由で民主的で良い国である。しかし、そんな左翼思想にかぶれた教職員に子供を教育されるのかと思うと暗澹たるものがある。子供達には日本人としての誇りを持たせ、日本を自らの祖国として愛して欲しい。海外に住めば厭でも分かるが、日本人には祖国は日本しかない。どんなに海外が好きで、例えその国の国籍や市民権を取ったとしても、心の底からその国の人間として受け容れて貰う事は、少なくとも一世代か二世代の間は極めて難しい。結局は僕達は日本に依って立ち、日本に保護され、日本人として生きて行くしかない。その日本を誇りに思い、愛する事が、自分に対する自信にも繋がる。何よりも、外国で日の丸を見ると、言葉に尽くせぬ嬉しさが込み上げて来るのは僕だけではあるまい。
 戦後、米国は日本が再び米国に牙を剥く事がないように、徹底的に日本を骨抜きにする事に腐心した。自分の領土を自分で守る事も出来ない憲法を押し付け、民主化と称して教育から愛国精神を植えるカリキュラムを排除した。お陰で日教組が出来、ロシアのコミンテルンが入り込んでしまう事になる。米国が仕組んだ教育カリキュラムは、日本が第二次大戦を誤りと認め、二度と戦争を起こさないように自信喪失させる事にある。同じ敗戦国のドイツは軍隊を持つ事を許されたし、押しつけ憲法もなかったのだから、やはり白人の敗者に対する扱いと黄色人種の敗者に対する扱いには雲泥の差がある。戦争はどう考えても非生産的で残虐であるから、戦争に対するアレルギーは植え付けられても良い。しかし、欧米列強がアジア、アフリカの後進国を片っ端から植民地化していた事は棚に上げて、日本が東アジアを植民地化するのを一方的に悪だと決めつけ、そういう教育を押し付けた。日本が正しかったと言っているのではない。欧米の理屈は全く筋が通っていないと言いたいだけである。
 そんな一方的な歴史観を押し付けられ、更には左翼思想が浸透して、日本の国体を否定する教職員が教鞭を持つに到った。これ程の悲劇はない。他国、他民族を武力で隷属させて、その地から収奪を図るのは間違っている。しかし、そういう悲しい歴史を持つ日本ではあるが、それは欧米列強の行った数百年にも亘る植民地支配に比べれば、高々30年位の話である。その悲しい時代を別にすれば、数千年の歴史を持ち、高い文化と道徳、礼節を育んできた我が国である。その象徴が国旗であり、国歌である。国旗があれば敬意を払い、国歌は起立して斉唱するものである。そして祖国への感謝と愛を再確認し、日本人である事の幸せを実感するのである。
 そんな当たり前の事が当たり前ではなく、何処の国の人間かと思う様な訴訟を平然とする教職員がいる事が信じ難い。そして、そんな売国の輩の弁護をする加藤文也という弁護士は、青山某というオウム真理教の弁護士と同じく頭がおかしいのか、或いは金儲けの為ならどんな弁護でも引き受ける悪徳弁護士なのかは知らないが、こんな弁護士は法曹界から抹殺すべきである。更に、教職員の採用に当たっては厳重な思想調査をするべきである。それが憲法違反というならば、憲法は改訂しなければいけない。日本の将来を担う子供たちを教育する教員が、日本の国体を否定し、日本の歴史を卑下し、国旗を敬わず、国歌を歌わないなどあり得ないではないか。こんな馬鹿げた裁判が行われる事自体が、戦後の日本がどこか歪んでしまっている事の証左である。教員の思想調査は、少なくとも教員採用試験においては、絶対に必要であると確信する。更に、本訴訟の原告400人は即刻解雇してしかるべきである。日本の学校に子供を通わせるのだから、まともな日本人に教育して貰うのは保護者の権利であろう。