baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 連日の話題は福島原発

 インドネシアに来て、人に会うのは今日で二日目。話題は津波地震もあるけれど、メインはもう福島原発ばかりである。正直何が本当なのかは僕にも分からないけれど、インドネシアではフランスと同様極端に危機感が煽られているようである。飛行場到着時のガイガーカウンターは止むを得ないとしても、日本からの食品は生産地に拘わらず先週全て輸入禁止になったそうである。日本食レストランではもう時間の問題でメニューが半減する。
 驚いたのは複数の人間から異口同音に「東電はもう自分では手に負えなくなってフランスや米国に助けを求めているそうだね」という事を言われた事である。冗談ではない、日本は外国からの援助の申し出でを断れるほど威張れた立場ではないから申し出では受けるが、フランス人やアメリカ人が高濃度で放射能汚染している現場で働いてくれるか、くれる筈はない、彼らは口は出すが何もしてくれる訳ではない、結局は日本人自らが命を賭けて戦っているのである、と説明する。彼等は生半可な顔で聞いているが、どう見ても信用している顔ではない。更に、如何に自衛隊や消防隊員が頑張ってくれているかと言う具体的な話をすると初めて、彼等も日本人の底力を賞賛するのである。彼等も一様に、被災地の住民の自己抑制、互助精神については良く知っているのである。
 しかし、海外で福島原発の事故の話をしていると、日本政府の広報の不手際が際立って感じられる。こういう国際的な関心を集める事故については単に枝野幸男が国内メディアを対象に記者会見で現状報告をするだけではなく、海外メディア、アジアのみならず欧米も含め、に対しても駐在特派員の知的レベルに合わせた、懇切丁寧な発表をしないと殆ど流言飛語のレベルで間違った情報が流布してしまうのである。欧米人もアジア人も、一般的な知的レベルは日本人に比べると相当低いのである。IQが低いという事ではなく、教育レベルが低いのである。
 東電が手を上げたという話も、よくよく問いただせば、溜まり水に高濃度の放射能が検出されて作業員が一旦全員引き上げた時の事を、当地のテレビが東電が万歳して作業員全員を引き上げた、もう核燃料はコントロールできなくなった、といったようなニュースにして流したものであった。他にニュースソースが無ければインドネシア人はインテリも含めてそういう誤ったニュースを信じてしまうのも致し方ない。今や世界は小さく、インターネットなどを通じた情報の伝播は極めて早い。政府は全世界を相手にした、それ相応のレベルの広報体制を早く確立しないと、日本に対するネガティヴな風評被害は益々広まると危惧される。
 そんな誤解や流言飛語が飛び交うインドネシアで嬉しいのは、あちらこちらで被災地への義捐金を募るチャリティが催されている事である。もちろん日本人社会が旗を振っているチャリティもあるが、インドネシア人が自主的に募金を募ってくれている話が多々ある。日本人に比べれば平均的には決して裕福ではないのに、心底日本の被災地を気の毒がってくれている。そんなインドネシア人の温かい心に触れて、僕はどうしようもなく嬉しくなるのである。