baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 フィルム「ヒアラフター」

 昨日読んだ朝刊に阿刀田高が表題の映画の事をたまたま書いていた。クリント・イーストウッド監督のこの映画を2月に見たばかりのところ、現実に津波が来てしまったという書き出しである。この映画は冒頭、スマトラ津波を彷彿とさせるシーンで始まるのである。場所はタイの雰囲気である。スマトラではないから、プーケット辺りをイメージしたものであろう。ところがこの映画の日本での上映が取りやめになったという記事が、やはり昨日の朝眼にした週刊誌に載っていた。冒頭の津波のシーンが余りにも生々しいから、と言うのが理由だそうである。同じ朝に、一つの映画の話を重ねて読むというのは珍しいが、その映画が僕の飛行機の機内ビデオで上映されていたのである。まったく奇遇であったが、上記のような記事を重ねて読んでいたので、迷わず観る事にした。
 映画は、プーケットのような場所で主人公が凄まじい津波に呑み込まれて臨死体験をするところから始まる。この津波のシーンは阿刀田高が言うように、成る程良く出来ている。東日本大震災の時にテレビの生中継で見た津波のシーンとまるで重なる、迫真の映像である。そして、それに続く臨死体験のシーンであるから、今の日本には馴染まない。特に津波に被災したり、津波で肉親を失った人々には耐えられない、生々しい映像であろう。上映中止は時宜を得た適切な判断であったと思う。
 実際の映画のテーマは津波ではなく、臨死体験をした若い女性と、霊と交流できる特異な能力に疲れた若者と、霊界が見える双子の兄を突然の事故で失ったが兄への想い絶ち難く兄との会話を求めて異能力者を訪ね歩く少年と、三者三様に霊界と向き合いながら生きる道を探るという一風変わった題材の映画であった。僕は飛行機の中で時々観る以外、映画には殆ど興味がないのでこれ以上の論評は控えよう。ただこの映画を観て、先日の大震災とそれに続く津波はトラウマとして何時までも僕の中で引き摺りそうな予感がした。現実に、今は余震が来るたびに身構えるし、緊急地震警報がテレビに流れると自然に緊張してしまうのである。東京の住人ですらそんなであるから、余震の震度も未だ桁外れに大きい被災地の人々は如何ばかりかと、心から同情に耐えない。