baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 日本人は鬼 (2) 

(昨日から続く)

 ジャカルタでは20年近く前、或るマレー系のインドネシア人と仲が良くなり、時々食事を一緒にしたりおしゃべりしたりする友達だった。中国では、未だ共産主義下ではあり、中国人との間に常に何となく垣根を感じていたのだが、インドネシアではそういう事もなく、僕は彼は良い友達だと思っていた。
  ところが或る日突然、伯父さんがポンティアナックで日本軍に虐殺され、それを眼の前で見せられた伯母さんが発狂してしまい、未だにおかしいままだ、親から は日本人は鬼だと教えられて育った、と言いだした。「日本人は鬼」というのはそれ以前に台湾で、上海から渡って来た外省人の二世に、親からそう教えられて育ったと言われた事はあったが、インドネシアでこんな事を言われるとは夢思っておらず大いに驚き慌て、ここでも一切弁解はせずに平謝りに謝った。彼は、別 に謝って貰いたくて話したのではない、でも君と会うまではずっと日本人は鬼だと思っていたよ、と穏やかに語ってくれた。
 ボルネオの大虐殺は日本では殆ど知られておらず、インドネシアでも知らない人が結構いるが、実はインドネシアの記録では二万人もの市民が短期間で抹殺されたのであ る。昭和19年初頭、西ボルネオの守備隊であった陸軍部隊が硫黄島に転戦し、そのあとに190余名の海軍陸戦隊が守備隊として上陸、司令部はボルネオ西部の要衝、ポンティアナックに置かれた。司令官は学卒という理由だけで下級将校になった素人軍人で、当時の人口8,000人の町を190余名で守るのが怖くて仕方が無い、徹底的な反日分子の粛清をやった。密告者には米と砂糖の報償が渡された。
 その日から軍の諜報に引っ掛かる反日分子、密告される反日分子はひきも切らず、大部分は何処かへ連行されてそのまま二度と戻らなかったのだが、中には彼の伯父さんのような話もある。
  彼の伯父さんは或る日の夕方突然自宅へ押し掛けてきた日本軍に、問答無用で頭から黒い袋を被せられ、後ろ手に縛り上げられ連行された。伯母さんはびっ くりして一緒に家から外へ出ると、既に数人の男が同じように黒い袋を被せられて捕えられていた。日本軍はそれらの男たちをトラックに長いロープで括りつけ ると、町の真ん中の広場をそのままグルグルと息の根が止まるまで引きずり回し、市民への見せしめとした。伯母さんは、飛びだそうとするのを親戚に取り押さえられ、死にゆく夫を絶叫しながら見守る内に発狂してしまった。伯父さんは反日運動とは全く縁のない普通の公務員だったそうだ。
 大部分の人達は、ポンティアナックから80km程離れた場所に連行され、そこで自分の墓を掘らされた後斬首された。犠牲者数は日本側の記録でも3千人という。駐印尼日本大使は今でも毎年秋に行われる慰霊祭に出席されている。
  何れも、実は僕の生まれる前の話である。しかし、日本人という立場からは、やはり僕に弁解の余地はないのである。外国から見た日本、その日本に属する日本人。日本が何かをした結果は、善い事であれ悪い事であれ、今の事であれ昔の事であれ、日本人一人々々の責任なのである。言ってる相手だって僕に直接責任があるとは思ってもいないのだが、日本人だから言いたくなるのである。そうであれば、こちらも一人の日本人として、潔く言い訳なしで受けとめるしかない。