baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 [イスラム教] 断食10日目

 断食が始まって10日が過ぎた。一番辛い時期である。人々の顔には憔悴の色が看て取れ、皮膚は乾燥してきて、動作もどことなく鈍くなってくる。皆平常通りにと必死に努力しているのだが、そこは凡人のこと、どうしても疲労は隠せない。こちらも何となく手加減してしまうので、やはりこの一ヶ月間は能率が相当落ちる。
 気の毒なのは肉体労働者である。身近なところでは運転手。基本的にこういう種類の職業に断食は、よほど心身が頑健でないと無理がある。特に仕事で遠距離ドライヴを余儀なくされる時などはこちらも気を遣う。先ず、高速道路で睡魔に襲われるので、後部座席からルームミラー越しに運転手の観察を欠かさない。少しでも眠そうになったら、普段なら休憩所に入って水でも飲ませるのだが、断食中はそういう訳にも行かないので、話し掛ける。暫く話しているうちにまた覚醒してくる。どうしても覚醒してくれない時は仕方がないので怒鳴りつける。
 夕方は、陽が沈みそうな時間になったら早目に休憩所でもドライヴインでも何処でも、車が駐められる処に早々と駐めさせてやる。運転手は水のボトルを取り出して来て、近くのイスラム寺院からアザンというお祈りの呼びかけが聞こえてくるのを今か今かと待つ。ようやくアザンが流れてくると、断食明けである。早速少量の水を飲み、お祈りに行く。そして、お祈りから戻ってくるとまた水を飲み、バナナかケーキか粽か、何かを少し口に入れ、「もう大丈夫です、出発しましょう。ありがとうございました。」と言ってくる。
 少し話が横路にそれるが、このアザンというのは、およそイスラムの国で、人が住んでいる処であれば何処にいても絶対に聞こえて来る。アラビア語が基本らしいが、美しい韻を踏んで朗々と語りかけて来る。意味が分からなくても聞いていて心地よい。それに引き換え東京の我が家の近くから流れてくる「こちらは○×区です。ただ今△△△警報が発令されました。」という放送はもう少し何とかならないものかと何時も思う。割れ鐘のような酷い音で、何の工夫もない平坦な放送は、よほどの緊急時でもなければ雑音でしかない。
 アザンは夜中でも明け方でも、お祈りの時間になれば流れて来るので、起きていれば心地よい呼びかけでも眠りを起こされるとやはり不愉快である。赴任当初は毎明け方これでたたき起こされて寝不足になり、腹が立つやら眠いやらの毎日であったが、一ヶ月もすると眼が覚めなくなった。人間の脳は良く出来ていて、僕に関係ない音は聞き流させてくれるように出来ているらしい。もっともこの伝で、目覚ましの音を聞き逃して寝坊して約束に遅れた経験もある。
 話を戻そう。それでも運転手は昼間寝ていられるので未だ益しである。身近なところではゴルフ場のキャディはもっと気の毒である。最近のバングラデシュは知らないが、インドネシアでは未だにキャディがバッグを担ぐ処が少なくない。熱帯の炎天下、40℃近い外気の中を水も飲まずに15kgからのゴルフバッグを担いで、7km近くのコースを歩く。プレーヤーが下手だと右へ行ったり左へ行ったり、球を探したりOBで元の場所まで戻ったり、断食でなくとも重労働である。我々は汗びっしょりなのに彼らはもう汗も出ない。カラカラに干からびている。
 こういう人達は、大体今頃、つまり10日位頑張ったところでへこたれる。一度断食を破ってしまうと、本来なら翌日からまた頑張れば借金は一日だけなのだが、もう緊張が解けてどうにも再開できないらしい。キャディは殆ど、運転手も半分以上はこれからの一週間、十日で脱落してしまう。不謹慎な言い様だが、運転手などは脱落してくれた方が安全で、正直なところこちらはむしろ有難い。
 この時期、女中などはちょっと眼を離すとすぐに涼しいところでゴロゴロしてしまう。事務所の職員も一番ミスの多い十日間である。普段であれば怒るところだが、やはりこの時期はこちらも怒るのは憚られる。
 僕は出来る限り断食中の人の前で飲み食いをしないように気遣う。彼らは平気だと言うが、特に渇きは平気な筈がない。だから、相手先を訪問した時など、飲み物は何がいいですか、と訊かれたら断食中かどうかを訊き返し、相手が断食中なら僕も飲み物を断るのを常としていた。人によっては僕の気遣いを、異文化への慮りを、喜んでくれた。僕は、こういう配慮は異宗教の中で生活して行くのには必須の心遣いだと思うが、実際には無神経な日本人の方が圧倒的に多かった。