baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 烏害(うがい)

 烏害という言葉があるかどうか知らないが、我が家の回りの烏の数と騒々しさは大変なものである。近所に古い神社があり、大木が沢山生えている。烏には恰好の塒である。この神社の古いことは、1362年の古文書に既に出てくるそうであるからそれ以前、地元の言い伝えでは10世紀に遡るそうである。まさかその頃の木がそのまま生えているわけではなかろうが、とにかく大木が生い茂っている。
 そして我が家の向かいの家が、それほど大きな敷地ではないのだがちょっと変わった住人のようで、敷地一杯に大きなものでは高さ30mを超すような、どれも住宅地には不釣り合いの大木が7本も生い茂っている。電話会社も電力会社もそこだけは電線に被服をかぶせて擦れても断線しないようにしている。強風の日には枝が電線を擦るのである。そうでなくても道路一杯に木が覆いかぶさっているので、厳密に言えば何かの法律に引っ掛かるだろう。ただ、マメに手入れはされているので、と言ってもはみ出しには全く無頓着なのだが、大木があること自体は安全にさえ気を遣って貰っていればまあ構わない。ただ、ここがまた烏の恰好の遊び場になっている。
 そしてゴミを漁っては食い散らかす。この頃は蓋付きの箱型ゴミ集積ネットが普及してきたので大分改善されたが、それでもまだネットだけの集積場もあり、そういう所はゴミ収集日の朝は散乱したゴミで目を覆うばかりである。しかも憎らしい事に、食事中の烏は人間が近寄っても逃げもしない。こちらが怖くなる程不逞々々しい。
 しかし、なんといっても耐えがたいのは騒音である。とにかく朝から晩まで、時にはどういう訳か夜中や早暁まで、うるさい事この上ない。子ガラスが巣立つ頃の甘えた鳴き声、番う時の掛け合い、遠くの者同士の相図、危急を知らせる鳴き声、とにかく朝から晩までカーカー、クヮクヮ、ケヶヶヶやられるとノイローゼ気味になる。窓が開いている時は電話もままならない。
 しかも、烏が増えたお陰で野鳥がめっきり減ってしまった。以前は雀やハトは勿論、ホオジロメジロ、尾長、鶯、等々色々な野鳥が見られたが今は殆ど姿を見かけなくなってしまった。烏が減った数年前には一時これらの野鳥が多少戻った時期もあったが、今はもうさっぱりである。ハトが烏に突かれているのを見掛けたこともあるし、野鳥も烏がいるところはやはり怖いのであろう。
 石原都知事が烏の駆除を英断して、都が駆除に乗り出した頃は一時大分改善されたものである。初年度、次年度、三年目、とどんどん改善され、我慢の限度内に収まりかかっていたのだが、ここ数年また逆戻りである。一体どういう訳だろうと、都庁の環境保護局に電話で、一層の駆除をお願いした事がある。その時、こちらの住所を伝えたら即座に、その辺りの烏の被害は十分都でも把握しているのだが対策は難しいとの回答。その理由は我が家の近隣に動物愛護家と称する過激な住民がいるようで、罠を仕掛けると夜中に直ぐに壊してしまうのでどうしようもない、警察にも相談してパトロールの強化なども実行して貰ったが、警察のいない時を見計らってやるので全く効果がなかった、イタチゴッコで何度か修理したが、烏の罠といっても一基600万円もするものなので修理の予算も続かず今はもうお手上げである、とのことであった。
 初耳の話であった。こうなると、動物愛護家などと自分では正義漢ぶっていても犯罪者以外の何物でもない。我が家の近隣の自称動物愛護家は、是非とも現行犯で捕まえて器物損壊で実刑にしてやりたいものである。
 烏に限らず、鹿でも日本猿でも、天然記念物のカモシカでさえも増え過ぎれば害獣になる。そこには確かに人間のエゴも介入するので余り威張れた話でないのは承知しているが、しかし物事は何事もバランスが取れて初めて平穏となる。烏が増えて野鳥がいなくなるのは、鯨が増えて鰯がいなくなるのと同様、決して喜ぶべき事ではないと思う。