baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 大相撲

 また今日から9月場所が始まった。大相撲は大好きで、東京場所は時々両国にも行く。テレビで見慣れているので、リプレーがないと勝負の微妙な機微が分からず初めは戸惑ったが、段々遠くからでも際どい勝負も見えるようになり、それ以上に雰囲気が楽しめるのでテレビとは全く違った楽しみとなった。
 外国人力士がこれ程多くなり、以前はハワイ、南米の力士もいたし、今は欧州やCIS出身の力士が増えて来ているのに、未だに関取に中国出身者が一人も出て来ないのは何故であろうか。顔の似ている人種の中では、モンゴルは言うに及ばず、韓国も春日王が頑張っているが、中国人は一人もいない。やはり下積みの修行が長く厳しく、その上褌担ぎには給料も出ない相撲界は中国人には向かないのであろうか。
 昔、高見山が幕内に上がって来た頃は、体も大きいし力が段違いに強くて、その代わり投げや左右の技には粘りがなくて、随分相撲が大味に思えたものである。しかしその人間性には誰もが愛着を感じ、遠くハワイから来て苦労を重ねてきたジェシーをみんなが応援した。その後小錦が出て来た時は、正直日本人力士が壊されてしまうのではないかと心配になった。その爆発的な押し相撲と桁違いの重い体は脅威であった。実際、小兵で人気を集めた舞の海は対小錦戦で、投げ技を掛けた時に押し潰されて下敷きになって膝を痛め、結局土俵生命を縮めてしまった。これらのハワイの大型力士が席巻していた時代は、力が桁違いに強く体も大きいので相撲の勝ち方に影響はあったが、日本の伝統としての相撲の精神はしっかり守られていたと思う。
 それが少しおかしくなったのは、旭鷲山が出て来てからだ。旭鷲山技のデパートと言われ、未だに現役時代の決まり手は一番多い44手だそうで、確かに新しい風が吹き込まれたのは間違いないが、同時に相撲に品性がなくなった。喧嘩腰の相撲をしてみたり、勝ちっぷりも勝てば良いじゃないか、というところがあった。それでも旭鷲山は精々小結止まり、大して強くなかったから我慢も出来た。愛嬌もあった。
 殊更に酷くなったのは、朝青龍からだ。そもそも、元大関朝潮の親方がからっきしだらしがないもので、まるで躾が出来ていない。誰も言わないから、強いのを鼻にかけて鼻もちならなくなってしまった。横綱という、勝って当たり前の地位にいながら勝てば土俵上でガッツポーズをする。横綱ともあろう者が何とも見苦しい。
 勝った時に負けた相手を思いやる惻隠の情というのが日本の伝統であるが、外国人にはそういう中途半端な感情は理解できないであろう。しかしそれだけに、勝負が終わった後は相手を思いやり勝ち誇らない、という親方のせめてもの躾が大事なのである。
 朝青龍にはそんな事は端からインプットされていない。相手が土俵を割っていても、土俵に倒れていても、更にダメ押し、およそ横綱の風格とは程遠い品性の持ち主である。負ければ次の場所前の出稽古で、負けた相手に恐怖感を植え付けるまで徹底的に痛めつける。豊ノ島朝青龍相手に金星を上げた次の場所前の稽古でつり落としを食らって足を痛めてしまい、それから調子が戻らずに未だに嘗っての勢いがない。横綱でありながら、稽古でこんな荒業で格下をやっつけるなぞ言語道断である。巡業をさぼってサッカーをやったり、本場所直前に子分を従えてゴルフをやったり、横綱としての自覚のなさと躾の悪さは天下一品である。
 白鵬は良い横綱になって来ている。親方の躾が良いのは一目瞭然である。本人も双葉山を尊敬しているとの事で、相撲道の事も理解しているのだろう。それでも負けた時に土俵上でテレ笑いをして舌を出すのは止めて欲しい。
 外人力士のなかでは僕は琴欧州が好きだ。彼のポーカーフェースが良い。勝っても淡々としているのが良い。敢えて注文を付ければ、勝ち名乗りの時のお辞儀が粗末である。もう少ししっかり勝ち名乗りを受けてくれれば、文句ないのだが。先場所から人が変ったように、急に強くなったので大いに期待している。
 今や外国人力士抜きの相撲は考えられない。外国人力士のお陰で相撲が面白くなっているのは間違いない。願わくば、相撲は日本の国技であり伝統である、元々は神事である、ことを外国人に分かれと言っても無理だろうが、せめて皮相な部分だけでも親方がしっかり躾けて、品格の高い相撲を見せて欲しいものである。