baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 飛行機で恐かったこと

 僕が出張を始めた昭和40年代の大型機と言えばDC8かB707。どちらも機体制御技術が今ほど発達していないしレーダーも今ほど威力がないから、天候が悪いとよく揺れた。バングラデシュ駐在時代は3ヶ月に一度、買い出しでバンコクを往復した。バングラデシュビルマの間にはアラカン山脈という山間部がある。ここの上空を飛ぶ時は例外なく必ず揺れた。酷い時には飲み物の紙コップが飛びあがって中身がその辺に飛び散ったり、食べ物が放り出されて床に落ちたりした。このアラカン山脈上空である時雷に遭遇した。雲と空全体ががピカッ、ピカッと光るので雷雲がある事は窓から見える。そして時々、急激に激しく機体が沈むのである。恐らく機体に落雷しているのだろうが、この揺れは激しかった。
 また、仕事でしばしばチッタゴンに行った。当時は未だ河に橋が架かっておらず、ダッカからチッタゴンへ行くのには三度フェリーに乗らなければ行けなかったのだが、このフェリーがしばしば沈没して多数の犠牲者を出しているので余り乗りたい代物ではなかった。だから、雨期の最中でなければ飛行機を使った。雨期に飛行機に乗らなかったのは、当時は未だチッタゴンは有視界飛行で離着陸していたので、雨期になると雲が厚く垂れこめて3日でも4日でも飛行機の飛ばない日が続く事があったからだ。機材はフレンドシップ7という、名機と言われていた小さな双発のプロペラ機だった。このダッカチッタゴンのフライトもよく揺れた。揺れると、前の座席に座っている人の頭が上へ延びたり椅子の陰で見えなくなったり、スッポンの首のように延び縮みするのであった。
 ベトナム戦争中には、航空路がラオス上空に限られて隘路になっていた時期があった。羽田からバンコクへ飛ぶ日航のDC8がこの隘路で積乱雲に突っ込んだ事があった。隘路一杯に積乱雲が張り出していて、逃げようが無かったのであろう。この時は突然上昇気流に巻き込まれ、物凄い勢いで機体ごと数秒間持ち上げられたと思ったら、次の瞬間、奈落の底へ落とされるような勢いで急激に降下した。僕の少し後方で座席に横になっていた人が中空に放り上げられ、客室乗務員は天上に頭をぶつけて帽子が飛んでしまった。当時は普通に肘掛けに付いていた灰皿の蓋が勝手に開き、吸殻や灰が機内に放り出され室内はモウモウとなった。機内は一瞬阿鼻叫喚の様相を呈し、僕はと言えば本能的に必死に肘掛けにしがみついた。恥も外聞もなかった。
 同行していた、「隼」でラバウルに駐留していた元帝国陸軍の戦闘機乗りが、無事にバンコクに着いてから、「隼」であんな積乱雲に突っ込んだら空中分解しても不思議ではない、良くても操縦桿が全く効かずにキリモミになって、積乱雲から抜けるのが早いか地面にぶつかるのが早いか、という事態だと言っていた。因みに、操縦桿が効かなくなって急降下を始めた時は、目をつぶって操縦桿を力いっぱい引っ張っているのだそうだ。運が良ければ地面にぶつかる前に急に操縦桿が動いてくれて機体が立ち直るそうだ。
 そういう揺れの恐怖ではないのだが、ぞっとした経験もある。タイ国際航空でマニラ経由バンコクに飛んだ時のことだ。その直前にバンコクエジプト航空が空港を誤認して近郊に墜落し、日本人の犠牲者も出た事故があったばかりの事である。飛行機はマニラ空港に向かって着陸態勢に入った。ひどく揺れる。窓から外を見ると真っ黄色な雲の中を降下してゆく。南方特有の、蒸し蒸しする分厚い黄色雲である。ランディングギアが出る音がしても一向に雲が切れない。揺れは相変わらず酷いし段々心配になって外を見ていると、いきなりすぐ眼の下に、恐らく高度100mもない眼下に海が開けた。何時もと全然景色が違う。あれっ、と思った時には飛行機はエンジン全開、直ぐにランディングギアを格納して急上昇を始めた。それも右に、左に機首を振りながらの急上昇であった。結局は事なきを得て、暫く後に無事に着陸したのだが、たまたま乗り合わせた航空関係の人が、間違いなく誤着陸寸前であった、あの上昇の仕方は失速を避けるための緊急の方法である、と教えてくれた。その時の無理が原因かどうか、飛行機は機体にトラブルが発生してその後6時間も空港待合室で待たされる羽目になった。実は乗っている時には然程でもなかったのだが、後から思い返すと直前のバンコクでの墜落事故と重なり、命拾いをしたようなゾッとした気分になった。
 他にもジャワ島上空で二度も雷雲に突っ込んだ時、ウィーンで猛烈な横風を食いながら着陸する際に主翼が殆ど接地しそうになった時、台湾への台風来襲で全ての台湾行きの飛行機が香港で足止めされた時に唯一飛んだ飛行機で台北に着陸した時、上海でアントノフというエンジンだけが他と不釣り合いに大きな古いロシア製の小型プロペラ双発機が自重に比して明らかに馬力不足でいくら滑走しても離陸しなかった時、など恐ろしい目に遭った事は何度かある。幸い昨今は飛行機の性能も機器の性能も格段に向上しているので、最近はとんと恐い目に遭った事が無い。恐い思い出も後から思い返すと懐かしさもあるのだが、やはり危険な恐い目には会わぬに越したことはない。い