baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 酒

 今日は酒の想い出を書こう。酒には仕事で何度死にそうな目に遭わされた事か。僕は今でこそ殆どアルコール依存症なのだが、実は社会人になるまではまるでお酒が飲めなかった。大学生の時でもちょっとアルコールを口にすると貧血をおこしてダウンしていた。記憶喪失するほど酔える人が理解できなかった。
 社会人になり、上司に酒ぐらい飲めなくてどうする、営業は酒が飲めなくては仕事にならん、と散々引きづり回された。その頃は小さなグラスにビール一杯が限度で、それ以上飲むと心臓の動悸が激しくなって直ぐに貧血を起こすのだった。それでも連日訓練されて水割りぐらいは口にできるようになった時だった。
 ポーランドに出張させられた。真冬で、夜は外気が−25℃ぐらいまで下がる時期だった。ある晩、お客の公団から5人迎えて宴会をする事になった。ここまで漕ぎ着けるのに大変な思いをしているから絶対に失敗は許されない。迎えるは僕とポーランド人のスタッフ1人。宴会は19時からであった。夕方5時頃、ポーランド人のスタッフが、今晩は大変な宴会になるから絶対に物を食べないで下さい、その代わり今のうちに食べておいて下さい、と誘いに来て、二人で近所の道端の食堂で牛の内臓のゴテゴテスープとバターを塗りたくったパンとチーズでお腹を一杯にした。
 宴会が始まった。暫くは大人しかったが直きに乾杯が始まり、あっという間に大騒ぎになった。50度近いウォッカで乾杯である。ウォッカを飲むと水代わりにビールを飲む。スコッチもブランディも出てくる。5対2であるから数では圧倒的に不利である。時々トイレに入り、出来るだけ摂取物を吐き出すのだけれども吸収の量が多すぎて三時間もしたら酔いは回る一方になってきた。外にでて外気に当たると、それこそドカンと眼が覚めて5分位は酔いが冷めるのだが建物の中に入り暖房に当たればあっという間に酔いが回る。
 男同士で抱き合ってキスはするは、歌うは踊るはの大騒ぎが翌朝の2時迄続いた。流石のポーランド人もみなへべれけで、宴会もやっとお開きになった。僕は気力だけで最後まで正気を保っていた積りだ。客が帰った後で数えたらウォッカは14本(但し1本0.5ℓ)、スコッチが6本、ブランディが3本半、勿論ビールは水代わりだから何本だか分からない。空き瓶はそれだけ並んでいた。その晩から一切物が、水も、喉を通らず2日2晩七転八倒していた。
 その次の地獄は、以前このブログで書いた天津での宴会(2009年8月21日・日本人は鬼)。その次は、台湾は彰化での出来事である。ある客に機械を売り込みに行った。もう買ってくれそうなところまで行っていたので、後は値段の話だけの時だった。10時頃相手の事務所を訪問したら、社長がいきなり柄杓で紹興酒を茶碗に注いで出してくれて、乾杯で商談が始まった。殆ど無駄話で紹興酒だけが進む。1時も回ったころ、それでは飯にしよう、とレストランに案内されると社長の友人と称する人達数人が既に待機している。こちらはメーカーの人と僕とで日本人二人。悪い事にメーカーの人は体を壊していて全く酒が飲めない。僕だけが台湾人5人ぐらいと一緒に4時位まで飲まされた、そこで昼飯はお開き。事務所に戻ったらまた柄杓酒が出てくる。6時位まで、今度は多少商談らしい値段の話をしながらひたすら紹興酒を飲み続ける。6時位にやっとお互いの値差が手が届きそうなところまで近寄って来た。僕はもう酔ったなどという域は通り越して半死半生なのだが、気力だけで何とか縦になっている。すると、腹が減った、晩飯だ、と社長がまた腰を上げる。実は相手の社長も流石にもうへべれけになっている。
 晩飯が始まる。また紹興酒の乾杯が続く。もうお互いまともにロレツが回らない。最後に僕が箸袋に数字を書いて渡したら、社長がサインをして返してくれた。もう9時近かった。やっと商談成立である。こんな商談でも、億円単位の商談だった。そうしたら社長が、お前は男だ、商売が出来たお祝いに飲みに行こう、と言う。こちらは商売だから否も応もない。ナイトクラブに入った。今度はブランディを普通のグラスに並々と注いで乾杯である。本当に死ぬかと思った。ほどなく社長の奥さんが物凄い剣幕で乗り込んで来て、この酔っ払いとか何とか怒鳴りつけて社長を連れて帰ってくれたので僕は一命を取り止めた。後から聞いたら社長は飲み過ぎで肝臓を患っていたそうだ。
 商社などという商売をしていると酒の話は尽きる事がない。中国は安徽省でも上海でも、またベトナムでも中央アジアでも、それこそ世界中で僕の酒の武勇伝は幾らでもある。昔は飲めなかった男がよくぞここまで飲めるようになったものよと、我ながら感心する。ただ、酒を浴びるほど飲んで極限まで酔っ払った時の相手は何故かこちらを信頼してくれるのはアジア人に共通している性癖であった。そして僕も同じアジア人として、そういう相手には何故か親近感を感じるのである。