baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 ユドヨノ大統領第二期就任

 故スハルト大統領が大統領職を1998年に辞任してから、初めて総選挙で二期連続選ばれた大統領の二期目の就任式が本日執り行われた。元陸軍中将ユドヨノ大統領の、未だに少しジャワ語訛りの残る就任演説がテレビで放映されていた。第一期と異なり今期は国会での地歩も固まり、思う存分腕力を揮える地盤が固まったのだから、是非我が第二の祖国、インドネシアを正しい方向に導いて欲しいと願う。そして、引き続き汚職撲滅運動を継続して欲しい。インドネシア汚職は徹底的に撲滅する意気込みで調度程良いのである。
 少し話が横路に逸れるが、インドネシア汚職は文化である。だから一朝一夕に無くす事は出来ない。本当の絶滅にはどう贔屓目に見ても後100年はかかるであろう。しかしスハルト時代は良くも悪くも、官僚の汚職はしっかりコントロールされていたそうだ。汚職をやり過ぎるとスハルトは良く見ていて、或る日突然呼び出しをかける。その時には国内は元より海外の、しかも身内名義の口座まで徹底的に洗われている。官僚がスハルトの前に恐る恐る進み出ると、スハルトはその官僚の実績を褒めあげる。暫くして官僚が畏まって退出しようとすると、「折角何々プロジェクトを立派にやったのだから、ついでに同じ地域に学校(病院、灌漑プロジェクト、何でも良い)を作ってくれよ」と言われる。官僚は畏まって了解するのだがその先の指示が無い。そこで、了解はしたが予算は、と訊くや否やスハルトはつらつらとその官僚の海外の口座を名指して、金はお前がもう充分貯めているではないか、それでやってくれ、と言う。官僚はもう否も応もない。こうしてスハルトは行き過ぎた汚職はちゃんと警告し、些少な汚職には或る程度潤滑油的な必要悪として目をつぶっていた、と政権崩壊後に側近から直接聞いた事がある。同様、スハルト自身は汚職の金は色々ある財団に入れさせ、地方への灌漑ポンプ1,000台とかジープ100台とかの、地方訪問の度に用意していたお土産の財源にしていて、自身はそれ程お金に固執する事はなかったとも聞く。やはり悪かったのは家族、特に夫人だったというのは大方の見方である。
 脱線ついでに汚職の話の続きだが、スハルト時代の汚職は良かったと、ほぼ異口同音である。汚職の必要な筋が明快で、金額も適当であったそうな。それが汚職撲滅を政策に掲げたワヒッド時代になり、汚職の筋がさっぱり見えなくなり、誰も彼もが手を出してくるので、一人一人の金額は然程ではないものの総額が膨らんでしまい、みな悲鳴を上げていた。メガワティ時代には汚職撲滅には目立った動きはなかったが、ユドヨノになり汚職の摘発がワヒッド時代より一層厳しくなった。その結果どうなったか。一時のように誰でも彼でも手を出してくる事はなくなったが、リスクが高くなった分金額が高騰しているそうだ。何れにしても、当分撲滅には程遠いという事である。
 話を戻そう。第二期ユドヨノ連立政権の一翼を担う第二党はスハルト時代の大政翼賛会、ゴルカル党である。第一期ユドヨノ大統領政権の副大統領であったユスフ・カラが率いていた政党である。この政党は1998年までの32年間スハルト政権を支えて来た。そして1998年の、革命と呼んでも良い民主化運動のなかでスハルトが中途辞任し、後を襲った当時の副大統領ハビビの繰り上がり大統領の任期切れと共に政権の座を離れた。ゴルカル党は与党時代が長かったので、汚職体質が染み込んでいる。また、反共産党の旗頭であり、開発による経済発展を金科玉条としてきたので、一言で言えば企業寄りの政策であった。自民党と似通っている。企業寄りの政策は必ずしも悪ではないと思うのだが、行き過ぎればやはり民心の反感を買う。そして、何よりもスハルトの作った政党なので、スハルトが政権の座を降りた時から目の敵にされていた。しかしながら、それでも常に議席数では第二党を維持して来た。大統領はスハルト辞任後、ハビビ、ワヒッド、メガワティと続き、メガワティの後に大統領に就任したのがユドヨノである。僕は何度も面談しているが、当時は英明で非常に礼儀正しい、英語の堪能な、清潔感の溢れる人物であった。大統領になってからは必ずしも清潔ではない部分の報道もあるが、全部が本当とは限らないし、仮に一部が事実であってもインドネシアらしくて却って愛嬌があると思う。
 インドネシアの今年の経済成長はIMFによればアジア第4位の伸び率だそうである。確かにジャカルタを訪問する度に、世界不況とは無縁の活況を感じる昨今である。その一方で、政府発表よりも遥かに高いインフレ率を実感する物価に喘ぐ庶民の生活を肌で感じるのも事実である。東南アジアの盟主として期待されたインドネシア、この10年足踏みを続けて来たインドネシア、足が地に着いた本当の経済発展、民生発展を心から願うものである。