baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 渋谷

 今日は友人に誘われて渋谷のコンサートに出掛けた。場所はオーチャードホール。渋谷の西側である。ところが僕は渋谷の西側が前から大の苦手なのだ。
 先ず、間口の狭い店が大ボリュームで呼び込みをやっている。パチンコ屋ではない、普通の店の話である。隣の呼び込みに負けまいとお互いにヴォリュームを上げるから、どちらの音もまともに聞こえない。呼び込みではないのに、何故か音楽だけを負けじと大音量で流している店もある。ハンドスピーカーで店頭でがなりたてている店もある。中にはハンドスピーカーと店の呼び込みと、二重の騒音を一店で出している店まである。何れも負けず劣らずの大音量で、どれもまともに聞こえない。聞こえないから効果もないし、結局騒音公害以外の何物でもない。渋谷区は何故区条例かなにかで大音量の騒音を規制しないのであろうか。静かな街の方が街も落ち着くし、余程売り上げも伸びると思うのだが。
 この騒音を聞いていて国会の野次が彷彿とした。国会の野次も酷い。あれが国家の最高機関かと思うと、本当に情けない。政権が変わっても野次だけは何も変わらない。今日の衆院予算委でも質問が小沢一郎献金問題に触れたら、民主党議員の野次は尋常ではなくなった。質問する委員の声が掻き消されてしまう。議長も民主党選出だから一向に制止しない。質問者がクレームを付けて初めて静粛にするように言ったが、その程度の制止では民主党議員は馬鹿にして誰も従わない。むしろ野次る事が小沢一郎への忠誠心の証の如き勢いである。
 国会の場での野次は退室にすべきである。亀井静香の如き閣僚でも例外はなしである。まともに議論する場が国会の筈で、野次で政敵を脅し上げようとか黙らせようとする事には知性の欠片も感じられない。渋谷の現状は、正にその知性の欠片もない騒音合戦である。よく皆神経が保つと感心する。
 次に歩道を歩く人達の無神経ぶりである。ある人は携帯に夢中で回りが見えない、あるカップルは二人に夢中で自分達だけの世界に籠ってしまい周囲が見えない、あるグループはお喋りに夢中で道一杯に拡がって前から来る人、後ろから追い越したい人などまるで眼中にない。とにかく自分の世界に浸ってしまって公共の場にいる認識のない人が何と多い事か。歩道を歩いている時でさえ進路変更する時には後方確認が習性になってしまっている僕には、もはや理解の埒外である。
 演奏会は、と言えば、ユダヤ系白人の高名なバイオリニストの名前があったのでクラシックの演奏会だと早とちりしたのが大間違い。何とも曰く言い難いステージで、クラシック演奏会を期待していた僕には正直がっかりで、観客のノリはむしろロックバンドのコンサートのそれであった。これは事前の下調べをしなかった自分が悪いので、文句を言う積りはサラサラない。唯一の収穫は、高校時代のヴァイオリン仲間の友人と30年振りぐらいに演奏会場でばったり再会した事か。やはり渋谷は相性が悪いようである。