baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 入札の長所・短所

 政権交代後、公費の使われ方の検証が大流行りである。検証自体が悪い事だとは思わないが、このテンポの速い時代に過去の事ばかりをほじくりかえしている民主党は、出来もしない事を選挙公約に掲げたばかりに身動きが取れず、時間稼ぎをしているようにも見える。もっと前向きの政策にどんどん新機軸を打ち出して欲しいものだ。特に、会計検査院という、プロの機関の検査を通っている事案では尚の事、ぽっと出の若手議員がいくら張り切ってもそう簡単に検証できるものではなかろう。もし結論ありきの検証であるのなら、事実そう見える話が多いのだが、下手な政治的ポーズは止める事だ。議員には暇潰しと売名に持って来いかも知れないが、巻き込まれる職員の手間暇、つまり行政側のコストは膨大なものとなる。
 検証の議論の中で良く言われるのが、買い付けに入札を行っておらず随意契約で買い付けられている、というコメントである。確かに随意契約というのは一見不透明であるが、実は入札でもその落札経緯は不透明である。また随意契約には癒着が付き物のような印象があるが、入札でも癒着や汚職は幾らでもある。だから、公費での買い付けは何でもかんでも入札でなければ怪しい、という発想は如何にも素人考えである。
 入札は買い付けが公開されるから、資格のある人なら誰でも参加できるという公平感はある。しかし実際は、参加資格の条件設定次第で、実はかなりの匙加減が出来るのである。例えば参加資格に、過去にその入札者からの受注実績がある事、などと入れられたらそれだけで新規参入は出来なくなる。資本金の条件だとか、同様の仕事の受注実績、とかの条件次第では入札者に恣意があれば大体応札者を絞る事は可能である。しかし、悪意に取らなければこういう条件設定は、安心できる買い付けをする為には当然の事である。洋服を買う時の値段の比較対象から、道端のワゴン車で売ってる業者を外すのと同じ論理である。
 また、買い付け対象の全ての仕様を文章にする事は事実上不可能なので、入札する際には価格を下げる為に入札条件に抵触しない範囲で皆あの手この手で安く上げる工夫をする。悪く言えば手抜きに知恵を絞る。勿論、審査段階では詳細な仕様の比較もなされるが、全ての応札書類を精査する人手も時間もないから、通常は価格の安い順に三社くらいの応札書類を精査する。つまり、初めから値段が高ければ幾ら内容が良くてもチャンスがなくなるので、取り敢えずは手抜きに知恵を絞るのである。従い、入札で買う物は必ずしも費用対効果が最善の商品とは限らない。実際その逆も多い。
 入札には準備段階に膨大な時間と人手が必要である。官報に公示をし、入札書類を準備し、予備入札を行って資格審査を行い、本入札に到るのだが、入札書類にもし瑕疵があれば入札自体が混乱してしまい公正な審査が出来なくなるから、書類の作成には並々ならぬ神経を遣う。書類の量も膨大なものになる。それに要する時間とコストは大変なものである。
 さらに、これだけの過程が必要となるので、急場の買い付けには馴染まない。即ち、相当以前から計画して買い付けをする事になる。しかし消耗品の様な物は消費の量に波があるから、買い付け数量は安全を見越して少し多めに買う。もしその商品に消費期限などがあれば、結局は無駄な買い物になるのだが、補充が間に合わなくなるよりは無駄が出てもストックを切れないようにするのは当然の事である。従い、例え単価が安くても必ずしも総額が安いとは限らない。
 というように、単価は安いかも知れないが必ずしも総額も底値とは限らず、買い付けに掛る費用が実は馬鹿にならず、且つ品質もベストではないかも知れないのである。
  一方で、大口の公共事業などはやはり入札に向いている。先ずスケジュールがしっかり決まっていて準備の時間も充分に取れる。また入札にせよ、随契にせよ、応札者と応札物件の内容の評価には相応の時間と手間がかかるので、コスト的にも大差がない。更に、価格のみならず、技術的にも数社の内容を比較検討が出来るメリットがある。
 また大きな工事であれば応札者側は当然不測の事態に備えた予備費も見込んでおかなければならないが、こういうコストは予め計算できないので、競争がないとどうしても安全サイドに甘く見てしまう。そういうコストが下請け、孫請け段階から積み上がると全体のコストは相当膨らんでしまう。これが入札となれば、真っ先に手をつけるのはこういうコストの洗い直しであり、出来上がりの価格は間違いなく安くなる。
 という訳で、入札を経ていない買い付けは高くて不透明という一律の評価は誤っている。何でもかんでも入札という風潮は改め、入札に馴染む買い付けと馴染まない買い付けはしっかり区別すべきである。