baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 国旗と国歌

 今日は旗日である。今はもう殆ど使わなくなった「旗日」という言葉も僕が子供の頃は普通に使っていた。昔は旗日には黒白の旗竿の天辺に金色の、名前は覚えていないが旭日を思わせるガラス玉を挿し、旗を結んで門柱の外に出していたものだ。我が家だけではなく隣近所が一様に国旗を掲揚して祝日を祝っていた。今は高層住宅が増え旗を掲揚することが出来ない家が多い上に、いま同じ事をしようものならあの家は右翼だと後ろ指を指されそうで、古い慣習になりつつあるのかも知れない。
 海外に住むと殊の外、日本人であることを意識する事が多い。常に日本人としての誇りと、日本の恥にならないように無意識に胸を張る様に心掛ける。日章旗を見たり国歌が流れて来ると、日本では思いもよらぬ愛国心を自然と自覚する。非日常的な事件に遭遇すれば尚の事である。戦後六十余年、平和な中で戦争へのアレルギーと行き過ぎた国体否定で、日本人である事の自覚が希薄になっている日本人であるが、海外で外国人に取り囲まれているとやはり日本人である事の誇りと責任感が自ずと自覚される。サッカーなどの国際試合でサポーターが何の抵抗もなく日の丸を振り、頬に日の丸を描いているのを見ると自然と心が和む。
 極端に左傾化した日教組が、戦時中の日本を否定するという理屈で国旗や国歌を拒否してきた。昔に限らず未だにそんな狭量な教師がいるようだ。右も左も分からない幼い中高生達が、教師に扇動され同調する事もあった。事実、国旗や国歌が戦時中を連想させる事もなくはない。しかし、戦争と言う厭な歴史も日本の歴史の一部である。戦争は絶対に避けるべきであるし、増してや近隣の国に攻め入るような事は二度と繰り返してはならないが、そういう暗い部分も日本の歴史であり、国旗や国歌を否定した所で歴史は変えられない。国旗や国歌を自らのアイデンティティの拠り所として受け入れ、歴史をあるがままに受け入れ、初めて能動的に平和な世界を作る事に寄与できるのではなかろうか。
 「君が代は」という国歌の歌詞に時代錯誤を感じないと言えば嘘になる。しかしアメリカなどと違って日本には二千年からの歴史がある。そういう歴史の無いアメリカ人は、他国の歴史に酷く劣等感を持っているように思う。逆に、日本は優越感を持って良い、長い歴史があるのだ。「君が代」で始まる国歌も考えようによっては、その長い歴史の現れである。現代には多少そぐわないが、歴史の一端として受け入れる度量があって初めて長い歴史が生きて来る。他国の国歌を眺めてみれば、戦場で見た旗であるとか、女王陛下万歳であるとか、世界で全てに上位する我が国とか、各国それぞれ時代に多少そぐわない歌詞を胸を張って歌っている。我々も、日本人と言う拠り所があって初めてその思いを世界に発信出来る訳である。それならば、日本人である自覚と誇りを持ち、日本人であることの証として国旗を崇め国歌を斉唱し、お互いに連帯感を持って「一緒に平和な世界を作ろう」、と世界に発信できたらと思う。、