baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 蘇った古い腕時計

 少し前に写真の整理をしていたら古い腕時計が同じカートンから出てきた。実は忘れもしない、40年前に初任給で買った腕時計だった。未だ取ってあるとは思ってもいなかったので、はからずも再会して懐かしかった。もう20年以上使っていない。動くかどうか早速確かめてみたところ、まだ動く。自画自賛だが40年も昔のデザインながら今でも十分洒落ている。シチズンの日付、曜日付きの耐震、耐水仕様33石自動巻き腕時計である。昔は摺動部に工業用サファイアなどの硬い石を使い摩耗を防いだ。何石、何石、と石の数である程度時計の格が決まったものである。33石と言うのは普通の時計にしてはまあまあの方であったと思う。耐震、耐水仕様も、当時は未だ比較的新しい技術であった。セイコーがパラショック、パラウォーターという耐震、耐水仕様の腕時計を世界に先駆けて出してから未だ10年も経っていない時分だったと記憶する。それまでの腕時計と言えば、腰の高さから床に落とせば壊れたし、雨に濡れても水が入ってしまい時計屋に修理に出さなければならなかった。濡れると文字盤のカバーのガラスが内側から曇ってしまったものである。
 当時新宿の百貨店でアップルパイを熱くしたものにレーズン入りの生クリームを掛けて売っていた。ファーストフードのはしりだが、当時はちょっと洒落た雰囲気だった。今では信じられないほどの下戸だった僕は、慣れない会社勤めの帰りによくそのアップルパイを食べに寄っていた。同じフロアに時計売り場があり、エレベーターからの行き帰りにその前を通るのだが、ある日物凄く斬新な腕時計が目にとまった。黒い文字盤に、数字などは一切なく、見難いと言えば見難いのだが当時では凄く洒落たデザインだったので一目惚れしてしまった。しかし値段もそれなりに安くない。初任給の丁度半分である。
 その頃僕がしていた腕時計と言えば、もう記憶が定かではないのだが、多分中学の時に親に買ってもらった極く普通の腕時計そのままであったように思う。或いは、もう少しハイカラな父親からのお下がりであったか。何れにしても、陳列されているその時計が正直欲しかった。でも当時の僕の生活水準からすると酷く高かった。月末の給料日までに更に2回ほど見に行った。手にとって見せてもらった。見れば見るほど格好良いではないか。給料日の数日後に、当時未だ現金支給であった給料を握りしめてまた見に行った。物凄く身分不相応な贅沢な買い物に思える。質素な暮らしをしながら僕等兄弟を育ててくれた親にも申し訳ないような気がする。でも欲しい。結局、清水の舞台から飛び降りるような心持で買ってしまった。僕はブランドには無頓着で、好きなものは徹底的に好きになる。この時計はそれから16年使い続けた。勿論ダッカ生活も共にしている。
 そんな思い出のある時計なので、早速メーカーの修理部に電話をして問い合わせたら、分解掃除は恐らく可能だろう、但し現物を見ないと何とも言えないので取り敢えず送って欲しいとの依頼だった。また使えるものなら使いたいから連絡をした訳だから、厭も応もない、こちらの希望をメモして言われる通りに直ぐに送った。一週間程して見積もりの電話があった。分解掃除は可能、交換希望部品も、全く同じ物はもう無いけれど互換性のある部品との交換は可能、生活防水は保障できないので濡らさないようにして欲しいとの事。費用は安くはなかったけれど、ローレックスの分解掃除に比べれば未だ遥かに安いので、即座に発注した。それにしても40年も前の商品のアフターサービスをして呉れる日本のメーカーは本当に素晴らしいと思う。こういう素晴らしい伝統は是非絶やさないで欲しいものである。
 それから丁度一ケ月、今日時計が届いた。早速はめてみる。未だ手首の太さは変わっていないようで、そのままでピッタリである。デザインも良い。ガラスも新品に交換して傷一つない。うん、これは中々格好良い。何時もはめていないと止まってしまう自動巻きというのが面倒と言えば面倒だが、わざわざそういうブランド時計を大金を叩いて買う人もいる訳だから、その位は良しとしよう。また年寄りのノスタルジックな物が増えてしまった。