baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 インド洋大津波

 インド洋大津波が来襲してから26日で丸5年になるそうだ。インドネシアではスマトラの最北端のバンダラ・アチェだけで13万人の犠牲者が出た。1945年3月10日の東京の大空襲でも犠牲者10万人、長崎の原爆は8万人と言うからアチェ津波の凄まじさは想像に絶する。海岸から何kmも離れたところに大型船が打ち上げられ、海岸線の様相が変わってしまったというのだからその威力は想像もつかない。そして、その津波はタイの南部を襲いスリランカにまで被害を与えた。アチェには外国人は少ないが、タイのプーケットでは日本人29人を含む多数の外国人観光客が犠牲になった。
 その後日本政府はハワイにある米国の地震観測所と連携を取り津波警報を東南アジアにも迅速に出すように改めると同時に、政府援助で警報システムの整備を始めたと聞く。実際、アチェのケースではもう少し早く避難勧告がなされていればここまでの被害は出なかったであろう。
 アチェは元々イスラム色の最も強い地区である。スハルト政権崩壊後独立運動が盛んになり、独立派は常に政府軍と交戦していた。実は世間には知られていないが、アチェ大麻の栽培でも有名な場所である。独立抗争の実態は、独立を称する地場のマフィアと国軍が大麻の権益を巡って喧嘩をしていたのだが、それが何となく政治問題化され、何も知らない外国の人権擁護派の干渉があり、今はアチェには例外的に自治が認められている。元々アチェ地区は表向きは石油・ガスが主産業であり米国資本も参入していたのだが、その資源も既に枯渇の兆候が顕著で、政府としても自治権を与えても大した損失にはならないとの計算もあった。
 スハルト政権下では統制が厳しく、余りイスラム色を強く出すことは憚られたが、今は自治区ではありイスラム色が強いらしい。僕はイスラムにはそれなりに理解があり親イスラムを自負しているが、原理主義的な、本来のイスラムとは懸け離れたイスラムは認めていない。したがいアチェには行きたくもないのだが、そのアチェでは今はシャリア−と呼ばれるイスラム法が実際に施行されていて、ムハンマド時代の厳しい刑罰も未だにそのまま適用されている。方や大麻、方や神聖イスラム、の矛盾である。シャリアーが適用されている地域は東南アジアではアチェと東マレーシアだけではなかろうか。
 そんなアチェだが、インドネシア政府は災害復旧終結宣言を行ったそうだ。気の毒なのは被災者であり孤児達である。インドネシアではアチェに限らず人が死ぬ事が日本より遥かに日常なので、心の中までは知る由もないが、少なくとも表向きは死別に対する抵抗力が僕等に比べると甚だしく強い。そして飢えとも縁のない彼の地の人は(実際はそんな事はないが、本当の飢え死は少ないだろう)南国の青空の下で皆根が明るい。幼くして両親、兄弟と死に分かれた子供が一見陰もなく無邪気に白い歯を見せて笑い転げる。
 でも最後は同じ人間である。寂しくない訳がない。災害警報が妥当な時間内に妥当な方法で伝達されれば、これ程の惨事にはなる筈がない。勿論、彼の地を知る人ならそこに人災の要素が大きい事も良く分かる。それらをすべて包含して、尚且つこれほどの犠牲が二度と出ないようにシステムの整備と運用の訓練を引き続き続けて欲しいと思う。大きな箱物援助に比べれば、地道だが大した金額ではないと思うし、システム導入後のソフトの指導は正に日本の顔の見える援助になるであろう。