baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 街で聞いた民衆パワーの話

 一昔前のインドネシアでは考えられなかった民衆パワーの話を聞いた。僕はレンタルした車の運転手が熱く語ってくれたのを聞いたのが最初で、その後少し情報を集めたのだが、結構街ではこの話で持ち切りのようだ。テレビでも流しているし昨日の新聞は一面で載せているので、国民の関心が如何に高いかが分かる。
 話とは、31才の会社勤めの極く普通の、プリタという名の女性の話である。昨年8月、プリタが病気でジャカルタの衛星都市、タンゲランの病院に行った。そのまま入院させられたのだが医師の診断が日替わりで、その都度抗生物質を含む強い薬が変えられ、しかも病状は一向に好転しない。不信が募って転院を申し入れたが聞き入れられない。その話を20人の友人にe-メールで訴えると共に自らのブログにも病院と二名の担当医師の実名を書いて不信を記した。結局6日程入院した後に医師の制止を振り切って勝手に退院し、自宅療養に切り替えて病気も回復した。しかし、元々プリタには病院に対するネガティヴキャンペーンを張るまでの意思はなかったようだ。
 ところがこの話がインターネットを通じて想像以上に多くの人の知るところとなり、慌てた病院がプリタを名誉毀損で訴えた。同時に検察も昨年から施行されているインターネットを規制する法律違反で刑事告発した。インターネットを悪用してはならないという法律のようだが、詳細は分からない。警察はこの刑事告発に基づき、未だ幼い二児がいる、下の子には未だ授乳が必要だったプリタを拘束して即日拘置所に留置してしまった。求刑は検察の刑事が2年半の実刑、病院からの名誉棄損の民事が2億400万ルピア(約200万円)の損害賠償であった。2億400万ルピアというのはジャカルタ郊外で小さな一戸建ちが買える程度の、勤め人にとっては半端な金額ではない。拘置所での拘留は流石に1週間程で自宅軟禁に切り替えられたが、結局一審が結審するまでの8ヶ月間、プリタは自由を奪われた。そして民事についてはこの春地裁の一審で敗訴した。
 独立後50年間、この国の民衆は国家権力や金持ち階級に全く歯が立たず、弱者は常に虐げられていた歴史があるので事の善悪や真実はそっちのけで判官贔屓をする傾向が強い。メディアもかなり無責任にその傾向を煽るのが一般的である。 更にこの国の裁判はお金次第なので、お金のある人が勝訴するのが普通である。勿論裁判官には多額の謝礼が渡るというのは、誰でも知っている。有能な弁護士は、粗探しが上手くて屁理屈が上手で裁判官に顔の利く弁護士である。屁理屈を入れ知恵して相手より多額のお金を渡せば勝訴出来るのである。従い、民衆は裁判所にも日頃から強い反感がある。そして本件では、お金のある病院が勝訴して当たり前という先入観がある。
 また医療も得てしていい加減である。先ず病院の費用が庶民の感覚から言うと非常に高い。健康保険制度がないから、尚のこと費用の乖離が大きく感じられる。実際、中流階級であっても家族が入院すれば大変な出費で家計には大打撃となる。そんなだから、病院の貧乏人に対する対応にはおざなりな事も多い。また悪気とは言い切れないのだが、医師の診断にもいい加減な事が珍しくない。僕も骨折と誤診されて、危うく不必要な形成手術をされそうになって逃げ帰った経験がある。このような背景があるので、病院や医師に対する不満や不信感も日常的に非常に根強い。
 民事の一審の判決に対してプリタは直ぐに控訴した。控訴の理由は2億400万ルピアものお金は払えないと言ったとか、ちゃんと取材した訳ではないので正確なところは分からない。一方、民衆もこの一審判決に納得せず、裁判所や病院に対するデモが始まった。裁判官糾弾のデモもあった。余りの民衆パワーに畏れをなした病院は和議を申しいれたが、高裁が和議を認めなかった。結局高裁でも先月下旬にプリタが敗訴した。プリタは即刻上告している。
 この話の凄いのはここからである。12月になって街中でプリタを助けようという募金活動が始まった。この動きが街から街へと飛び火して、国中で募金活動が始まった。貧しい人が、農民が、学生が、幼い子供までが猿の貯金箱を持って、コインを募金した。コインというのはアルミ製で100ルピアか500ルピア、即ち1円とか5円である。そしてこの募金運動が、一月も経たない中についに10億ルピア(1000万円)にもならんとした昨日、刑事の一審判決でプリタは晴れて無罪となった。メールやブログでプリタが故意に病院を貶めようとした形跡は認められない、単に友人やブログの読者に同様の医療ミスに対する警鐘を鳴らしたに過ぎない、との判断であった。一方、集まった10億ルピアのうち実に8億ルピアは国中から集まったコインであったという。検察は上告すると息巻いているそうだが、裁判官はご丁寧にも検察に対して、世論の裁きは既に下されているのだから検察も無謀な控訴はしない方が良いと付け加えたそうだ。民事に対する最高裁の判断も恐らくプリタの逆転勝訴になるだろう。世の中はそんな勢いである。
 事の真偽は僕の聞いた限りでは未だ色々と曖昧なのだが、とにかく本件は国中の関心を集めた係争事件になった。そして特筆すべきは、国を横断してこれだけの国民運動が展開されたいう、スハルト政権時代にはあり得なかった事が起こったという事である。スハルト時代は公共の場でスハルトという名前を出す事自体が憚られるほどの恐怖政治であった。実際、着任早々にレストランで僕が何の頓着もなく「スハルト」と言った途端に同席のインドネシア人が顔色を変えて周囲を見回し、僕をきつくたしなめる時代があったのである。その頃はバキンと称される秘密警察の目や耳が到る所に張り巡らされており、大統領侮辱罪が厳しく適用されていたのである。それを思うと隔世の感がある。コインで8億ルピアも募金が集まったと言うのも画期的な動きである。間違いなく何十万人、何百万人という人が募金をしたであろう。同時に、この民衆パワーが誤った方向に誘導された時の怖さも改めて思い知らされる。しかしインドネシアが確実に民主化の方向に進んでいる事は間違いなさそうである。
 折から、インドネシア民主化運動に火を点けた、初めて民主的な選挙で選出された4代目の大統領、グスドゥールが昨晩亡くなった。面談していても起きているのか寝ているのか分からない人で、病気の影響もあって色々欠点も多かったが、元々宗教家なので柔軟で包容力のあるイスラム教の本質を良く弁え、海外の事情を良く心得、インドネシア民主化に軌道修正した優れた大統領だったと思っている。ご冥福を祈りたい。アミン。