baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 インドネシアの医療

 インドネシアの医療は実は全く当てにならない。病院の設備はと言えば良い病院はしっかり整えているし、個室はホテルのスウィート並みの豪華さで付き添い用の次の間が付いていたりする。設備もレントゲンは大都市の病院なら先ず間違いなくあるし、MRIや心電図計なども珍しくない。しかし、昨日の本ブログにも書いたようにインドネシアでは簡単に人が亡くなってしまう。病気の人は日本では考えられないほどあっという間に臨終になってしまう。
 その原因はやはり人間のレベルにある。例えば最新の機器を使う人、その結果をみて診断する医者が覚束ないのだ。インドネシア人も金持ちはそういう事をよく知っているので、身内が病気になったりすると検査結果やレントゲン写真を託して日本の医者に相談してみて欲しいと言って来る。余り有難い頼まれ事ではないが断りも出来ないので、聞いてきた症状を口頭で説明し預かってきた検査データ(写真)を日本の医者に見せて助言を仰いだ事は一度や二度ではない。
 そういう際に医者は、先ず異口同音に何を疑って撮った(検査した)か分からないのでこれだけ見せられても分からない、と言う。素人は、例えばレントゲンを撮る時には取り敢えずその場所の写真を撮ってるだけだと思ってるだろうが、医者の側は実は幾つかの病気(障害)の可能性を確かめる為にそれなりの指示をして写真を撮って貰うし、撮影技師もその依頼に応えるべく目標を持って撮影するから診断が可能になる。ただ闇雲に撮った写真を見せられても困る、というものだった。無責任な診断が出来ないときの常套句とも思えるが、実際にインドネシアでは医者のいう事がしばしば信じ難いので、事実そういうものなのだろうと思う。
 在る朝僕は運転手の軽率なミスで左足にクラウンの後輪がまともに乗ってしまい、痛いと騒いだのが裏目に出て足の上に乗った時にブレーキを掛けられてしまい、1-2秒足が車に押しつぶされた事があった。その時は貧血が起きる程の激痛で、その後は事務所で痛いのを我慢しながら仕事をしていたが、夕方に到り痛みがいよいよ我慢できなくなって会社は早退して病院に行った。最高級病院である。そこで早速レントゲンを撮り医者の診断を仰いだら複雑骨折だから明朝手術するとのご宣託。どう考えても骨折はしていないので、ほうほうの体で逃げ出した。実際1週間ぐらいで痛みも引き、腫れも引いて全快してしまった。あのまま手術されていたらと思うとゾッとする。
 また、バリでレンタルのハーレーに乗っていた時犬の飛び出しを避け切れずに転倒して大怪我をした時の事。取り敢えず警察のピックアップで最寄の病院へ担ぎ込まれたが田舎だったのでそこにはレントゲンが無く、救急車で一時間ほどのバリの中心地、デンパサールまで運ばれた。救急車と付き添いの看護士の費用は勿論僕持ちの前払いである。デンパサールの病院は、丁度一年前に爆弾テロがあった時の犠牲者が真っ先に担ぎ込まれた病院だったので、担当の外科医は荒っぽいもので、去年のテロの時に担ぎ込まれた人はここに着いた時は大体みんな死んでいたから貴方は運が良い、こんな怪我は大した事はない、から始まった。
 結局左足親指の粉砕骨折(ハーレーが街路樹に跳ね返って逆さになってモロに飛んできた)、左膝前十字靭帯断裂、左肩甲骨骨折、の重傷だったのだが、左足親指は何もせず、前十字靭帯断裂は添え木を当てて包帯を巻いただけ、左肩甲骨骨折は左腕を懸架しただけで、後は明日も痛むようならまたいらっしゃい、我慢できればそのまま動けるようになるまで安静にしていれば良いです、との診断だった。当てにならないので翌日の飛行機で帰国して成田から病院に直行したら、左足親指は直ぐに修復手術をしないと関節が動かなくなる、前十字靭帯は炎症が収まったら再建手術が必要、肩甲骨は3週間経ったらリハビリ開始、との事で、あのままインドネシアにいたら僕は今は左半身に障害が残る事になっていたであろう。
 インドネシアにも素晴らしい医者もいる。酔って階段から落ちて大理石の床で頭を強打して脳内出血で死に掛けたのを、緊急の頭蓋骨切開手術で一命を取り止め、今は一切後遺症もない日本人がいる。この時の医者は日本の東大を出た人で、故スハルト大統領夫人に「国への忠誠」という名前を付けて貰った中国系インドネシア人だった。超音波で日本の健康診断では見付からなかった僕の肝臓膿胞を見付けてくれた医者もいる。だから、全部が全部ダメという訳ではないが、やはりインドネシアで何かあったら出来るだけ日本に帰る事をお勧めする。