baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 オバマ来訪前のテロリスト一掃

 一昨日射殺されたテロリストは、ドゥルマティンという指名手配中の2002年のバリ爆弾事件の実行犯のNo.2だった事が確認された。邦人を含む202名の犠牲者が出た大惨事だったテロ事件である。数字は定かではないがオーストラリア人とニュージーランド人の犠牲者が202名の7割位を占めていたのではなかったか。偶々そのオーストラリアを訪問中のユドヨノ大統領が、改めてオーストラリア国民に哀悼の意を表すると共に、テロ実行犯の首領格を射殺したと発表したそうだ。南国の楽園で起きた、極めて衝撃的だった爆弾テロの首領だったマレーシア人、ヌールディンが昨年治安部隊との銃撃戦の末射殺されたばかりであるが、これでやっと8年ぶりに大物のテロリストが排除された事になる。
 ドゥルマティンはやはりアルカイダと繋がっていたとされ、またインドネシアでは最も過激なイスラム地域であるアチェのテロリストグループのリーダー格でもあったそうだ。アフガニスタンの軍事アカデミーで訓練を受け、モロ族の反政府テロリストとも交流し、最近もしばしばフィリピンを訪れていた由。またフィリピンのテロリストもアチェで活動しているのが確認されているそうだから、アルカイダタリバンという急進的イスラム過激派が世界的なネットワークを構築しようとしているようだ。剣呑な話である。
 ドゥルマティンは6連発のリボルバーを手にしたまま射殺されているが、実弾5発が装填されたままだったそうなので実際には銃撃戦ではなく発砲する間もなく射殺されたと思われる。銃撃戦の後、銃を握らされたとも考えられるが、ズボンのポケットに実弾が7発入っていたそうだから銃を所持していたのは間違いなかろう。当地では別に火器を所持していなくても射殺してしまうのはよくある話だから、射殺後にわざわざ銃を持たせる理由はない。
 元々スマトラ北部のアチェという所は歴史的にイスラム色の強いところで、以前から分離独立運動があった。それでもスハルト時代は弾圧が厳しくて余り活発ではなかったが、スハルト体制崩壊後は一次公然とアチェ独立運動GAM)という組織が軍事行動を起こし治安部隊としばしば武力衝突していた。実態はアチェ地域のケシの栽培の利権に絡む地元のヤクザが地域の強いイスラム色に乗じて独立運動の形を取ったのに対し、同じくケシの利権を持つ軍部との露骨な縄張り争いに発展したものだという話もある。真相は知る由もないが、インドネシアの軍は木材の不法伐採、密輸、石炭の盗掘、偽札造り、など色々犯罪に手を貸しているからあながちあり得ない話ではない。その後アチェは例外的に広い範囲での自治が認められ、インドネシア国内では唯一イスラム法を奉じる地域になっている。女性は髪の毛や足をむき出しにしてはならないし、法律も民事に関してはイスラム法が優先する。外国人といえども、女性がホットパンツで外を歩くと警察に連行されるという話である。、但し、今のアチェで本当に、例えば姦通罪が死刑になるか、窃盗罪で手が切断されるかどうか、は僕は知らない。
 しかし、その後GAM武装闘争では民心が離れるので、自治権を与えられたのを契機に今は武装闘争はやめている。そのGAMの方針転換に反発する一部の狂信的な過激派グループが、アルカイダの支援を受けながら、外部のテロ集団とも連携しつつ、ジャカルタの米系ホテル爆破や、バリでの二度目の爆弾テロを指導したと言う。今回は、一昨日の大物テロリストの射殺に前後して、アチェでも17名のテロリストが一部射殺され、一部拘束された。銃撃戦で治安部隊にも3人、更に民間人(恐らくは情報機関員)にも4名の死者が出た。またジャカルタ近郊でも更に10名近いテロリスト容疑者が射殺、ないしは拘束されたと言う。報道を見る限りでは、一部の容疑者は一旦拘束した後敢えて逃走させて射殺したフシもある。
 情報機関のシビリアンのトップとは僕は例外的に昔から知り合いなので、お手柄だったね、と電話を入れたら、オバマが来る前に安全にしておかないとヤバイからね、と笑っていた。余談だが、この男の事を何も知らずにお茶を出してくれた日本人女性が、この男の無機質な目をみた途端に鳥肌が立ったそうである。人を抹殺する事が日常的になると、人間の顔はそういう顔になるのであろう。彼曰く、今回の作戦は2月20日から始めた事になっているが、実は大体の居場所は大分以前から把握していた、それをなるべく泳がせておいてグループのメンバーを出来る限り沢山特定しておいて、一網打尽にする計画だった由。勿論彼の名前は一切表には出てこない。報道陣に嬉しそうに手柄話をしているのは、彼の掌に乗せられた警察幹部である。
 それにしても射殺されたテロリストの、虚ろな目をして口を開いた顔の大写しが新聞の一面に載っているのは、日本人には余り気味の良いものではない。