baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 鳩山由紀夫の記者会見と郵政官営化

 鳩山由紀夫の記者会見をテレビで観た。久しぶりの記者会見であった。建前はともかく小沢一郎や自身の「政治とカネ」の問題、それに引き続く一連の民主党議員の不祥事で記者会見を忌避していたのは明らかであろう。凋落を続ける内閣の支持率も記者会見を嫌気した一因であろう。
 鳩山由紀夫の話は相変わらず何を言っているのかさっぱり分からない。相も変わらず「〇〇〇をしっかりとやって行きたい、と思っています」「一方で△△△もしっかり考えて行かねばならない、と思ってもいます」である。〇〇〇と△△△が全く相反するのである。それでは一体どうしたいと言うのだろう。政治家が煙に巻くのは常套だが、それにしてもこの人は何時でもこの伝である。この人の発言がはっきりしているのは、具体論のない理想論を熱く語る時だけである。きょうも「東アジア共同体」の話では、一切具体論がないので元気が良かった。日頃から「命を守る国、日本」だとか、何を言いたいのだかさっぱり分からない標語が大好きな総理である。
 或る記者から「普天間移設問題決着までにはもう間がないが、もし5月末までに纏められない場合には総理として進退を賭ける気持ちでやっているか」という趣旨の質問があった。これに対して「決着させるつもりで一生懸命やっているので、今決着できなかった時の仮定の質問には答えられない」との回答であった。小学生ならいざ知らず、一国の首相がもう時間的余裕が2ヶ月しかない、しかも内外に交渉相手のある最重要事案に対して「一生懸命やっています」としか回答しない。一生懸命やるのは当たり前である。しかし、それでもダメだった時の次善の策を考えるなり、自身の進退を覚悟するのは責任あるトップなら誰でも普通に考える事である。それだけの準備と覚悟があって、初めて難局の打開も可能になり得るのである。いくらお金持ちのボンボンとは言え、そんな事にも頭が回らないのであろうか。これが我国の宰相かと思うと情けないやら背筋が寒いやらであった。男たるもの、時には肚を据えて大見栄を切って欲しい。
 この件は米国がどこまで民主政権の顔を立てて妥協してくれるか次第だが、基本的には既存案に比して何のメリットも無い、デメリットばかりで米国の合意は極めて覚束ない、救い様のない対案である。キャンプシュワブ沿岸案の方がよほどすっきりしている。陸上案よりも環境にも優しく、必要な滑走路も確保出来る。更に新しい案は、素人目にも用兵という視点が完璧に欠落している、まるで福島瑞穂が考えたような、国の防衛や地域の安全保障を端から無視した案である。結局は単なる前政権への反発以外の何物でもない、具体的な対案を欠いた反対の為の反対であった訳だ。そんな子供じみた民主党の自己満足の為に、日米共に認める世界で一番危険な普天間基地移設が実現出来ずに、万が一周辺で惨事が起きるような事があったなら、小沢一郎鳩山由紀夫はどうやって沖縄市民に詫びをするつもりであろう。万死に値する愚挙であった。
 郵政官営化が閣内で揺れている。亀井静香原口一博は昨年末の閣僚会議で既にこの両名に本件の原案作りは総理から一任されているとの認識である。鳩山はそんな事実はないと言い、亀井静香は鼻白んでいる。鳩山由紀夫の物言いはとにかくはっきりしないから、強いベクトルをもった話し相手にはどうしても都合よく聞こえる事もあろう。或いは、鳩山由紀夫は世界最強の男に「トラスト・ミー」と言いながら、翌日には平気で趣旨を変えられる男だから、今回も周囲の反応を見ながら鳩山邦夫言う処の「アメーバ」の本領を発揮しているのだろうか。何れにしても内輪揉めは傍には面白い。精々花見の見物とさせて貰おう。
 亀井静香モラルハザードを助長するモラトリアム法とこの郵政官営化に体を張っているようだが、何れもまったく時代に逆行する悪法である。或る程度骨抜きにされたとは言え、モラルハザードを助長する法律など言語道断で議論にも値しない。それを強制される金融機関が気の毒としか言いようがない。
 そして今度は郵敏貯金の限度額引き上げである。政府が三分の一超の株をもつのだから、一般の金融機関の1000万円ペイオフに比し金持ちには遥かに使い勝手が良い。しかもこの金は殆ど一般への融資には活用されておらず専ら国債購入で運用されているそうだ。郵便貯金の運用は、国民新党が押し付けるモラルハザードとは無縁な、気楽な稼業なのである。どうしてこんな、一般の経済活動に資する事の無い貯金の限度額を引き上げる必要があるのだかが全く分からないし、またその説明もない。そしてあれだけ中小企業の味方の様な口をきく亀井静香が、郵貯からの手続きを簡素化した、或いは一般金融機関よりも極度額の大きな、地域中小企業への融資の促進に一切言及しないのは何故だろう。リスクの大きな融資は一般金融機関に任せて、日本郵便は手を出すなという事であろうか。何とも面妖である。
 国民新党は僻地のサーヴィスの均一化と言う。しかし、郵便配達が僻地の高齢者から郵便貯金のお金の引き出しや預け入れを頼まれるのが本当に正しい姿であろうか。保険料払い込みのお金を預かるのが本来のサーヴィスであろうか。否である。僻地の高齢者対策を問題にするのなら、もっと本質的な対策を考えなければならないのである。専門の相談員の配置や巡回サーヴィスの徹底である。それを郵便配達員にさせるとして郵政官営化に逆戻りするのは本末転倒も甚だしい。そしてその会社の社長が民主党が最も忌避していた官僚の天下りである。何れにしても郵政官営化については余りにも国民への説明が少なすぎる。旧国鉄の例を引くまでもなく、官営巨大企業は結局は立ち行かない。民主党国民新党共産主義社会の崩壊からは何も学んでいないようである。