baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 厚生事務次官連続殺傷事件

 12歳の時に飼い犬を殺されたと思いこみ、それ以来厚生官僚に恨みを抱き一昨年、もう40も半ばを回る歳になって厚生事務次官宅を二回に亘り襲撃、二人を殺害、一人に重傷を負わせて自首した小泉毅被告に今日埼玉地裁で死刑判決が下された。精神鑑定も受け、責任能力ありと判断され、且つ極めて周到に計画された残虐な犯行と言う事で死刑判決となった。自首した事も死刑を減刑するまでには斟酌されなかったようだ。
 しかし精神鑑定で責任能力を認められたとは言え、その理論はまるで常人には理解できない。ペットの側から人間の奢りを糾弾し地球を憂える理論、例えば日本で年間50万頭のペットが処分されているという事実、数字の信憑性はともかく、に対する糾弾、は偏ってはいてもそれなりに筋の通った一つの意見と思えるが、フィクションではなく現実にその理屈で厚生事務次官を家族ごと抹殺するという犯行に飛躍するところはどう考えても常人ではない。そしてその犯行を反省していないのも裁判官の心証を害していると思われるが、自の犯行を心底では犯罪と思っていないようなのも常軌を逸している。
 最近は凶悪犯罪の被告の弁護団はすぐに責任能力の欠如、精神耗弱を理由に極刑を逃れようとするので精神鑑定が大流行りに見える。しかし、その精神鑑定とは一体どういう鑑定なのであろうか。本件の小泉毅は責任能力ありと鑑定され、自首したにも拘わらず極刑の判決が出された。しかし僕にはどう見ても精神異常者にしか見えないのだ。
 僕は以前にも書いたが、他人を殺めるような人間の人権などは認めない。しかし、責任能力がないと判断されて極刑を免れる犯罪人と本件の小泉毅とにどんな違いがあるのだろう。僕には小泉毅はどう考えてもまともな精神とは思えないのである。誰が考えても、こんな飛躍した理論と、ペットの命と人間の命を引き換えにし、しかも生身の人間を現実に刺殺出来る神経はまともとは思えないであろう。
 やはり死刑は止めた方が良い。菅谷利和さんは無期懲役で、それも17年半で再審決定されたから間に合ったが、菅谷さんでも死刑になっていたら今更DNA鑑定がどうのと言っても間に合わなかった。そもそも処刑されていたらDNAの再鑑定すら為されなかったであろう。昨年は中国では数千人が処刑され、欧州では一人も死刑執行がなかったそうである。こと程左様に死刑には権力の臭いも纏わり付く。死刑は廃止して、しかし極悪犯罪人には終生監獄で罪を償って貰う、恩赦無し、模範囚の仮釈放無し、面会や差し入れを禁止しても良い、正真正銘の終身刑が望ましいと僕は思う。犯人を処刑しても被害者が生き返る訳ではない。犯人には終生自由を束縛して罪を償わせる方が処刑されるよりも辛いかも知れないと思うのだ。