baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 人材不足の日本の政治家

 昨日の僕のエープリルフールには結構沢山引っ掛かってメールが飛び交っていたので、今朝早々に種明かしをした。すると「恥ずかしながら全く気付かなかった」と言う潔い告白や、逆に「エープリルフールだったのをすっかり忘れていた」などという負け惜しみだのが「上手いジョークだった」という賛辞と一緒に続々と送られて来た。が、なかには「こういうリアルな嘘は問題だ」とクレームして来た者もいた。この人物は名前からは何人だか分からないが、一般にエープリルフールにはイギリス人やオーストラリア人がやはり鷹揚なようだ。
 さて、こちらはエープリルフールとは無関係な本当の話。郵便貯金の限度額引き上げに民間金融機関が一斉にブーイングをしている事は当たり前のことだが、それを意識して亀井静香が今度は預金保険料率を現行の半分位に下げれば良いと言いだしているそうだ。しかし保険料率を政治家の思い付きで下げたりするのは根本的に発想が間違っており、本末転倒も甚だしい。料率はそれなりの確たる予想と根拠に基づいて算出されるべきものである。何だか段々本件の本質が見えて来た気がする。
 預金保険は元々限度額はあって無きが如きで、現実には無制限に保証されているのと同じであった。しかし1990年代になり大型金融機関の破綻が現実となり、保険機構が財政的に立ち行かなくなったので保険料率を大幅に引き上げると同時に、2002年には限度額を1,000万円に設定した。1,000万円というのは、庶民の預金は大体カバーされる反面、大口預金者にはかなりのリスクが残る金額である。その心は、預金するに当たっては金融機関の信用度を良く見極めて1,000万円を超える部分につては自己リスクで預金をすべし、またリスクを分散させる為には預金のみではなく一部は投資に回したらどうか、という事であった筈である。日本人の過剰な預金性向を多少なりとも改め、資金が少しでも投資に多く回るように促す意味もあった。
 それが僻地でも都会と同じサービスをするユニバーサル・サービスという掛け声の下、僻地の赤字郵便事業を支える為に資金を沢山集める必要があるという詭弁を弄して、郵便貯金の限度や簡易保険の保険金を倍に引き上げた訳である。しかし実態は、郵便事業自体が売り上げは減少しており、2010年は郵便事業単体では赤字が見込まれると言う。また僻地のサービスは郵政に限らず公共交通機関や行政サービス、インフラ整備にも問題がある訳で、僻地の住民の利便を考えるなら郵政単独で何かするというのは欺瞞であって、本来は抜本的な制度の構築が必要である。更には40余万人の臨時職員を正規雇用せよという日本新党のゴリ押しもある。そこで、郵便事業の赤字補填や正規職員の増員の財源を郵便貯金や簡易保険の上限引き上げで捻出した資金の運用で賄おうという魂胆である。ところがそれでは民業圧迫となり民間から強い批判が噴出した為、今度は預金保険料率を大幅に引き下げようと言う安直な発想だ。その本質は、こうして見てみれば明らかなように政党の単なる票集めでしかない。
 預金保険料率は適正な範囲で見直すのは良いと思う。機構が大幅な黒字になっても意味がない。しかし1990年代に財政破綻を来たして料率を大幅に引き上げたばかりなのだから、それから未だ間もないのに本質から逸れた議論で徒に、それも数字合わせのように半分位に料率を下げるのは大きな誤りである。また保険料率を半分にしてペイオフの上限を郵便貯金並みに引き上げれば良いと言う意見も民主党内にあると言うが、どう考えても議論の順番が逆である。景気刺激にも逆行する発想である。
 本件に限った事ではないが、目先の票集めや、批判をかわす事ばかりに気を取られ、本質的な議論が全くなされていない気がする。そんな皮相な発想で一国の重要な金融政策を徒に変更する事は許されざる事の筈なのだが、日本の政治家の人材不足はいよいよ深刻のようだ。