baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 外国と日本人、人権擁護

 中国で日本人死刑囚の刑が執行されると連日新聞やテレビを賑わしている。日弁連は日本に比べて刑が重すぎるだとか真っ当な審理が行われたか疑わしいという理由で、強硬に刑の執行停止を要求しなかった日本政府に抗議している。後者はともかく前者はまったく筋の通らない理屈である。
 どこの国でもその国で起きた犯罪はその国の法律で裁く。犯罪者が外国人だからといってその犯罪者の国の法律を適用するなどという話はあり得ない。日本で凶悪な多重殺人を犯した外国人が、死刑のない国の人間だからといって死刑を免除する事があり得るだろうか。実際日本でも既に中国人の死刑が執行されている。
 麻薬所持で死刑になる国は、僕の知る限りでも他にシンガポール、マレーシア、インドネシアがある。シンガポールでは麻薬所持で死刑を宣告された英国青年が、時のサッチャー首相の度重なる減刑要請にも拘わらず刑を執行された。独立国家として、法治国家として当然の処置であった。インドネシアでも時々大量の麻薬所持の罪で外国人が死刑を宣告されている。インドネシアは中国ほど厳しくはないようだが、それでもキロ単位で麻薬を所持していれば死刑の可能性は高い。バリでは不良外国人による麻薬所持、使用とそれに巻き込まれた日本人女性の事件もあった。外国に居る時は遵法は当たり前だが、さらに自分を危険から遠ざける処世も忘れてはならない。故意は言うに及ばず、受動的に事件に巻き込まれてその国の法律に従って厳罰に処されるのも結局は本人の自覚と注意不足である。
 アフガニスタンでジャーナリストが行方不明になっている。アフガニスタンは僕は自衛隊派遣にすら反対する危険地域であり、現に米軍とタリバンの戦闘が行われている戦場である。そんなところに出掛けて行く日本人は、元々自己リスクで金目当てに行っているのが大半だから周囲が騒ぐ事はない。そもそも金を払えば誘拐などに遭った時に救援を仕事としている、CIAやMI6崩れの人間がやっている保安会社は世界に沢山ある。何も国民の税金を使って政府が動く話ではない。政府プロジェクトや政府公認の活動をしていて事件に巻き込まれるのとは訳が違う。
 どうも日本人は国内が平和過ぎて、海外での身の処し方が甘いように思えて仕方がない。世界一安全な日本でも、知恵のある人なら夜々中に歌舞伎町や宇田川町を一人でフラフラあてもなく歩いたりはすまい。夜の六本木の交差点にいる外国人や、新橋で客引きをする韓国人や中国人女性に付いて行けば何があっても不思議はない。増してや海外であれば尚の事、自の身辺の安全には十分な注意を払わねばならない。
 海外での裁判における審理に十分な人権配慮があるかどうかとなると話は少し異なる。人権問題は法制度とは全く別の次元の問題である。また捜査の公平性も、餃子事件の時の中国警察当局の会見を想い出せば、彼の国では公平な捜査は余り期待できそうもない。当時、日本の警察の毒物検査からは誰が考えても毒物は中国で混入されたとしか思えないのに、頑として毒物は日本で混入されたとする見解を変えなかった。法律が違うと言う大前提の下、人権擁護や捜査、審理の公平性については先進国が常に見守り、改善を働きかける必要はあろう。斯く偉そうを言う日本でも、例えば米国人から見ればその裁判は公平性を欠くと見えるようである。
 しかし、捜査段階での人権擁護は本当に難しい問題だと思う。折から名張毒ぶどう酒事件の再審請求が、名古屋高裁への審理差し戻しとなった。証拠不十分と自白強要の疑いである。証拠不十分はともかく、自白強要は難問だ。人権は守られなければならないが、知能犯や性格の強い人間は緻密な嘘をつき通したり黙秘を続ける事が出来る。従い或る程度の恫喝や睡眠不足、強度のストレスを与えるなどして自白を誘導しないと、自白をさせるのが難しい事もあると思われる。日本の裁判では証拠だけでは不十分で、自白が必要だと言われる。その為に嘘を言わせて冤罪を作り上げるのは以ての外だが、余りに人権を擁護するが為に結果として犯罪人を庇うのには問題がある。難しいのは、犯罪人からはある程度人権を剥奪しても構わないと思うのだが、未だ犯罪人かどうか判断が付かぬ段階での取扱いだからだ。
 何れにしても、何時も言うが死刑は止めた方が良い。僕の死刑廃止論アムネスティ日弁連の言う人権擁護ではなく、冤罪回避の為と、自分が万が一裁判員になって凶悪犯罪を裁かねばならなくなった時に死刑を宣告する勇気がない為なのだが。