baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 季節外れの大雪

 季節外れの大雪であった。夕べの夜中は未だ雨だったのだが、朝起きたら外が白かった。さすがにアスファルトの上では殆ど積もらなかったが、バイクのカバーや地面には数センチの雪が積もっていた。地面が柔らかいうちに草取りをしようと思った。真っ白な雪から緑色の頭を出している雑草はひどく見付けやすい。ところが直ぐに手が凍えてしまい諦めた。もう4月17日である。聞けば東京では41年ぶりの遅い雪で、遅い雪のタイ記録だそうだ。41年前と言えば、僕は未だ学生で、大学は学園紛争の最中であった。
 僕の大学は小人数の学校だったのだが、ご多分に漏れず学園紛争が始まった。全共闘が組織され、早稲田や中央、日大などから凶暴な青学同、核マル、中核派、などが潜り込んで来て鉄パイプや角材を振り回し始めた。みなヘルメットに、煮しめたような汚ないタオルで覆面をしていた。教師はと言えば、一方で給料を貰いながら全共闘と共闘する破廉恥教師がおり、他方で臆面もなく学校には出て来ずに日和見を決め込んで給料だけ貰っている教師がいた。真剣に学校を何とか元に戻そうと言う骨のある教師は殆ど見当たらず、僕は大いに失望したものである。
 三島由紀夫の盾の会もいた。とんでもない右翼集団だから、裸の日本刀を手に下げて高下駄で学内を闊歩していたが、だからと言ってどうとかしようという事でもないようだった。流石の全共闘も盾の会には手を出さなかった。総じて空手部などの右寄りの体育会系も反全共闘として存在感を示していた。僕の属していたオーケストラ部と言えばてんでんバラバラで、僕の様な反全共闘もいれば全共闘シンパもいた。そのくせ部としては「プチブル」と言われて全共闘の目の敵にされたものだ。
 そんな事を想い出しても、この時期の雪は記憶にない。天気予報では今日の昼間は気温も上がる予想だった筈だが、結局10℃を少し超えるくらいで止まってしまい、決して温かいとは言えなかった。それどころかお昼位までは雪融けで、実感はむしろ気温よりも肌寒かった。
 明日は今年初めてのゴルフの日だ。実は2月中旬に予定が入っていたのだが、その日も東京は良い天気だったのに茨城のゴルフ場は前の晩に降った雪で一面真っ白になっており、結局コーヒーだけ飲んで帰って来たのだ。明日は予報通りの良い天気であって欲しい。