baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 上海(4)〜中国人気質

 最後に最近の中国人について率直に感じた事を記したい。25年前は未だ共産主義真っ盛りで、毎週職場では毛沢東語録の勉強会に強制的に参加させられていた時代であるから、そのまま現代との比較は難しい。当時は日本に対する劣等感、戦時中の暴虐に対する根深い怨恨、政治的に弱腰な日本に対する恫喝を通じての快感、などが複雑に混ざり合った態度で応対され、常に監視されているような緊張感も付き纏い、正直一瞬も息が抜けなかった。酒席でも、いつ日本鬼(リーベンクェ)等の蔑称を呼ばれるかと覚悟していた。
 今はすっかり中国人にも余裕が出てきて、特に上海のような経済発展の華々しい処の住人には昔のような研ぎ澄まされた敵意は全く感じられない。日本鬼などと呼ばれる気もしない。もっとも朝何気なくテレビを点けたら、丁度日本軍将校が泣いて助命嘆願している中国人を杭に後手に縛り付けさせて、遊び半分に銃殺してニヤリと笑う場面をやっていた。朝、7時過ぎの事である。中国では日本人が鬼である事を未だ忘れてはならないようである。
 磁浮列車に乗る時に笑ってしまったのだが、行列が作れないのは昔と変わらない。列車が入って来るまでは皆何となく並んでいたのに、列車が到着するや我先に乗ろうと押し合いへしあいが始まってしまう。もっとも日本でも関西では良く見られる光景ではある。話し声が大きいのも昔と変わらない。昔は声の大きい人が正しい意見を言う人だ、と言われていたが今でも声は頗る大きい。携帯電話の普及で到る処でその大声がするようになったので、むしろ前より騒々しいかも知れない。
 街を行く人にはお洒落な格好をしている人が多い。勿論質素な、或いは身なりに無頓着と思われる格好をしている人もいるが、特に若者はなかなかハイセンスである。しかし皆が皆ではないが、女性がスカートで座っている時に平気で足を広げたり、自転車に跨る時に足を後ろに撥ね上げたりするのは昔と変わらない。この頃は見たくもない物からは反射的に目を逸らしてしまうのでどんな下着を付けているのか分からないが、昔は毛糸の長パンツなどで別に人に見られても平気な格好であった。しかし今はお洒落な格好をしているから、今でも毛糸の長パンツを着用しているとも思えない。
 道を歩いていて人にぶつかって来るのも相変わらずである。しかし、何となく昔より少しづつ垢ぬけている気はする。同じぶつかるのでも、多少遠慮気味にぶつかる人が増えたように思う。日本人のように携帯のメールに夢中になってぶつかって来る訳ではないから、この点は日本の方が遥かに酷いかも知れない。日本人の歩きながらの携帯メールは、本当に許し難い悪癖である。中国で歩いていて恐いのは、昨日も書いたがやはり自動車や電動自転車、スクーターの類である。スピードも落とさずに突っ込んでくる。
 何と言っても垢ぬけたのはサービス業である。例えば飛行機のキャビンアテンダント。昔は人民服を着た恐い女性にサーヴィスをして頂いたものである。お願いした事の半分もやって貰えれば上出来、そもそも何かお願いすると面倒な事を言う奴だとばかりに恐い顔で睨み返されたりした。そんなだから、通じたのか通じていないのか、返事は絶対に帰って来なかった。それが今では親切この上ない。身なりも洒落た可愛い女性がニコニコと注文を訊いてくれるからつい嬉しくなってしまう。
 ホテルのコーヒーショップでは、昔は用があってもウェイトレス同志のお喋りが忙しくて眼を合わせてくれなかったが、今では向こうからコーヒーのお代わりはどうかとか、他に注文はないか、と訊きに来てくれる。昔なら追加注文などしようものなら「私は客が一杯いて忙しいんだから、いい加減にしてくれ」などと怒られたものだから本当に隔世の感である。言葉がまるで通じなくても、今は一生懸命こちらの希望を理解して何とか叶えようとしてくれるので意地らしくなる。ただ、一流ホテルの事は知らないが、古いホテルではチェックアウトで矢鱈に時間が掛るのは以前と余り変わっていないようである。
 立ちっ放しの展示会の最終日が引けてから、疲れを解しにマッサージに行った。中国では始めての経験だったのだが、これが驚きであった。何とも清潔な施設に清潔な制服を来た若い女性が一生懸命マッサージして呉れた。トイレも足湯もタオルも本当に清潔であった。中国というと何となくもう少し汚ないイメージがどうしても拭えないのだが、あのマッサージ屋の清潔さは中国が本格的に近代化している証であると思った。