baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 相撲協会の理事長交代

 相撲協会の理事長が突然交代した。武蔵川前理事長は、つい数日前に、辞任説を覆して続投を表明したばかりであった。その間に、特別調査委員を務める弁護士の解任、文部科学省からの横槍とそれに応じる形での解任取り消し、そして今般の理事長辞任である。相撲協会は閉鎖的であると色々批判され、実際今般の突然の理事長交代は何やら釈然としない裏を感じるが、横槍に際しては文科相の若い課長が我が身の埃は棚に上げて相撲協会文科省の私物の如き批判をしていた。何処まで相撲界の内部に精通している課長なのか知らないが、その傲岸な発言には強い反感を催す。恐らくは川端達夫と言う、このレベルの事にしか口が出せない無能大臣の指示であったのであろう。さもなければ、一財団法人の不祥事にここまで目くじらを立てて追い詰める事もあるまい。文科省には、荒廃する教育や定員割れの大学問題、減少する海外からの留学生問題など、もっと真剣に日本の将来を憂慮してやるべき仕事が山積している筈であるが、大臣が無能だから肝心の政治はさっぱり進捗しない。僕がここまで言い切るのには理由がある。大臣が有能でしかるべき判断の出来る人間であれば、相撲協会問題に今文科省が表に出て来る事はあり得ないからである。
 後任の理事長には元大関魁傑の放駒親方が就任した。この就任に当たっても、外部から入っている特別委員会の座長である奥島孝康がわざわざ「外部の人間が就任する方が良かった」と発言している。何を理由にそう言うのかよく分からないが、したり顔の外部識者の面目躍如である。相撲協会の理事長と言えば、協会内部の統制が最大の仕事であり、伝統ある相撲の事が分からない外部の人に任せられる仕事ではあるまい。もし外部委員が本気でそのように考えているとしたら、その人は相当頭が悪いか物分かりが悪い人物であろう。相撲に限らず、良い悪いは別として、日本の伝統は、文楽、能狂言、歌舞伎、落語、どれ一つとっても独特の、悪く言えば旧態依然とした閉鎖社会の中で守られてきている。その中には現代社会とは相容れない習慣もあろう。それらは世間の動きに合わせて修正されていかねばならないが、閉鎖と伝統という特殊な社会のなかで時に世間と意識が乖離してしまう事もあろう。それを外部から指摘して、修正して行く事は必要なことである。そうやって、日本古来の伝統を絶やさずに末長く保存してゆけるのだと思う。
 しかし、改革を急ぐが余りに、伝統を無視し、閉鎖社会を破壊しようとしたら伝統はあっと言う間に廃れてしまう。いまメディアが、文科省が、外部識者と称する思想・正体不明の連中が、やろうとしている事は正にそういう事ではないのだろうか。昨日また野球賭博に関わったとして関取と幕下各1名が白洲に引き出され、テレビで大写しにされていた。少なくとも当人達は「一度だけ、二人併せて15万円賭けた。裏に暴力団が居る事は初めは知らなかった。後からそれが分かって、恐くて言えなかった。」と言っている。これが事実だとすれば、果たしてテレビに大写しされて世間の批判を浴びる程の罪であろうか。どこにでもありそうな、若者のちょっとした過ちではないか。
 以前にも書いたが、現在の日本には、ナチ支配下のドイツに通じる集団ヒステリーが蔓延している。物の軽重や本質を吟味する事無く、一旦ヒステリーが始まると理屈も何もない。実に手がつけられない。今、相撲協会に一番求められているのは、暴力団との縁切りは当然の事として、面白い相撲の取り組みを増やす事、その為にはテッポウ、四股、摺り足、ぶつかり稽古などの基礎を力士にしっかり叩きこみ、更には礼儀を徹底させる事であると思う。また優秀な人材を少しでも多くスカウトして、辛抱の利かない現代っ子に伝統の精神と技術を教え育てる事も極めて重要である。その為には、外部の理事長など以ての外の戯言で、奥島などは一体相撲協会を何処へ持って行こうとしているのか理解に苦しむのである。今、世間は閣僚からメディアまで、相撲協会叩きが目的で、本来の問題などどうでも良くなってはいまいか。