baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 引きも切らぬ老人の行方不明

 足立区で111歳の老人が30年も前に亡くなっていた事件を発端に、その後日本全国の自治体で次から次へと老人の行方不明や、既に死亡している事例が報告されている。またこの事件をきっかけに地方自治体が実施した検証で、超高齢者の戸籍が抹消されないまま残っているのに、ご当人は既に他界されているケースも沢山報告されている。今日は1810年生まれの人の、実に当年200歳の人の戸籍が残っているのが壱岐で見付かったと言う。現在の制度では普段検索するコンピューターでは、生年月日はチェック出来ないので今まで見付からなかったと言う説明である。それが事実であれば、日本では出生、死亡ともに戸籍は申告制が原則であるから、家族から死亡の申告が無ければ抹消されずに残ってしまうのは已むを得ないと思う。そういう制度なのだから、死亡している人の戸籍が抹消されていないのは職員の怠慢と論うのは言い過ぎであろう。とは言え、節目々々で長寿のお祝いをしている地方自治体も少なくないのだが、お祝いを渡す時には直接渡すものではなかろうか。
 これが足立区のケースのように、悪意から遺族が戸籍の抹消をしないどころか故人の年金を何十年にも亘って着服していた、となると話は変わってくる。吃驚した総務省だか厚労省だかの、一定年齢を越えた年金受給者の場合はその存在を確認するようにという指示で、各地方自治体が確認作業を始めたところ、次から次へと行方不明者やら既に死亡しているケースが発覚しているという訳だ。これは、現在の制度が高齢者及びその家族の性善説に依っているのに対し、実際にはやはり悪い人間がいて制度の欠陥を悪用したという事である。同時に、制度に欠陥があったのは事実だが、お金を支給するのに極めて長期間、相手を確認をしないままにただ払い続けて来たと言う、こちらは地方自治体だか年金機構の怠慢とも言える話である。家族が悪意で隠蔽しているのだから情状酌量の余地はあるが、やはりお上のお金に対する無頓着さが感じられ、異常と言える。こんな処まで規則で縛らないと正しく回らないと言うのは何とも情けないが、現実にこういう事件が起きたからには年金や祝い金を支給するに際しては、一定年齢を越えた高齢者には直接面談をしてお祝いの言葉を伝える、或いは健康状態に配慮するなどの規則はやはり必要であろう。
 しかし僕に一番ショッキングだったのは、家族の死亡と言う極めて重い事態を金儲けの種にしてしまうと言う神経である。自分の父母なり祖父母なりの肉親が人生の最後を迎えたら、遣り方はそれぞれであっても、普通の神経であれば厳粛に野辺送りして故人の尊厳を守ると同時に、自分たち家族や近親者が故人との永遠の別離を受け容れる区切りとするものであろう。それをしないと言う事は、故人に対する冒涜であると同時に、自分たちの気持にも区切りが付けられないのではなかろうか。にも拘わらず単にお金の為に、けじめも付けずにいられる神経はどういう神経なのであろう。高齢の肉親と連絡が取れなくなっているケースも多いようだが、こちらは生前の関係などで複雑な理由がある事もあろうから一概には論評出来ないが、同居していたケースでは遺骸と何時までも同居している訳だから正常な精神とは思えない。新人類の出現かもしれないが、何とも理解出来ない現象が日本全国で起きているのは日本の文化と伝統に異常事態が発生しているのだろうか。
 他方で、葬儀費用が工面できずに止むを得ず放っておいた人もいるようである。僕の住んでいる処では、葬儀を出せない貧困者向けには区が一番安いランクの葬儀費用を出してくれる制度があるようだが、他の自治体にもそういう制度はあるのだろうか。葬儀を出したくても出せなかった正常な神経の持ち主であれば、長い間良心に苛まれさぞ辛い思いをしていた事であろう。そういう気の毒な人に、自治体が葬儀費用を援助して呉れる制度をもっと徹底すべきだと思うのだが、僕の所でも区の広報ではそういう記事を見た記憶がない。葬儀と言う縁起の悪い事には、余り広報活動をしないのも日本の伝統なのかも知れないが、今回の異常事態を契機にそういう制度がある自治体は周知徹底すべきである。