baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 他人への思い遣り

 明日から10日ほど留守にする。休暇と仕事と半々だが、昔からの泥縄のクセが抜けず、今日になって突然大働きをした。朝、近所のスーパーとコンビニで明日から要る物を少し買って、それから新宿に出直した。本当は今日中にやらなければいけない事は新宿では一件だけなのだが、長い間懸案になっていた事も纏めて片付ける心算になった。どういう訳か、昔から8月31日にならないと夏休みの宿題をやらないとか、試験の前の日になってやっと教科書を開いて見るとか、時間がタイトにならないと何かにつけて手が付かない性分なのである。今日も時間が足りなくなって、猛然と懸案を片付ける気になった。
 新宿では西口、三丁目、南口、と三軒のデパートを梯子した。其々で伝票を書いたり、加工してもらったりと時間が掛るのだが、それを纏めて2時間で終わらせた。当然、デパートからデパートへは脇目も振らずに速足で歩いた。そこで気が付いた。勿論僕の歩く速さが人混みにしては早過ぎるのだが、それにしても何と皆さんマイペースな事か。携帯で話しながらぶつかって来る娘さん、友達と大声で話しながら斜行してきて買い物袋を思い切りぶつけて行くご婦人、手を繋ぎ互いを見つめ合ってコンコース一杯に広がって歩いて来た挙句に僕を壁際に付き飛ばしたカップル、何れもそれこそ脇目も振らない人達であった。
 僕は未だ元気だから良いけれど、もし僕に障害があったら皆さんどうする気だったのだろう。とにかく周りは何も見えていなかったのだから、障害者なら手痛い目に遭わされていたのであろう。そして、恐らく彼等は障害者を酷い目に遭わせた事にすら気付かずに行ってしまったであろう。特にこの頃は皆、この上なく自分勝手になっている。自分さえ良ければそれで良いようで、ひたすら自分だけの世界に閉じこもっているように見える。言葉を換えれば、他人への思いやりが全く無くなっている。
 三丁目のデパートで、エレベーターを待っていたら車椅子の中年の男性が現れた。エレベーターが開いたので、ドアを押さえて道を譲ったら、彼は床とエレベーターの継ぎ目で前輪が引っ掛かって止まってしまった。後ろから空いている方の手でちょっと押してあげたら、それだけの事だったのだが、エレベーターの中で彼が何度も御礼を言う。こちらが恥ずかしくなる程丁寧にお礼を言われ、下りる時にもまた丁寧にお礼を言って下りて行った。ちょっとした事でも、他人の親切はそれ程有り難いものなのである。僕も膝を手術した直後に松葉杖を突いて電車で会社に行った時の事があるので、不自由な人の気持ちがほんの少しだけ分かる心算である。
 家に戻ってから、お彼岸の墓参りに行った。植木を刈り込むには未だ気温が高すぎるので、今日は草取りをして、花を供えて両親にお参りして来た。草取りをしていたら、霊園の管理事務所からの放送があった。曰く「此処は霊園です。お参りに見える方が、静かに故人を偲べるように、野球やゴルフ、犬を放す事はおやめ下さい。ご協力をお願いします」。こんな注意が流れるのも、他人に対する思いやりが足りない人が多いからであろう。草取りをしていたら、我が家の墓石の裏側に、コンビニ弁当のプラスチックの空き箱が放り込んであった。30mも行けば大きなゴミの集積場があると言うのにである。どういう神経の人が放り込んだものか。
 公共の場所では日々ストレスの溜まる事が多いが、その理由は結局は他人への思い遣りが足りないという事に集約する。他人への思いやりが働けば、自ずと周りの人達に目が行き、他人が不愉快になるような服装や行為は慎み、周りの人達に不愉快な思いや迷惑を掛けないように心掛け、適度に周りの人と譲り合うであろう。皆がここに書いた事だけでも毎日実行すれば、お互いに随分と住み易い、気持ちの良い社会になると思うのだが。外交ではお人好しは禁物だが、せめて日本の中ではお互い思い遣り合い、気持ちの良い社会にしたいものである。