baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 最近の機器の取り扱い〜年寄りの泣き事

 今日、本ブログのページビューが50,000ページを越えた。カウントを始めたのが昨年の10月4日なので、平均すれば日に100ページ以上の読者がいて下さると言う事で、恥ずかしいやら有り難いやら、複雑な心境である。もっとも、2%位は自分だと思う。大体宵っ張りの僕は、酩酊してきて、お喋りなら舌の滑りが良くなる頃合いにならないとブログの筆が進まない。だから、時々勢い余って筆が滑っていたり、漢字転換間違いを見逃していたり、書いているうちに「てにおは」を間違えたりしているので、翌朝時間があればなるべく読み直すようにしているからである。特に民主党批判などでは言い過ぎの事が多いので翌朝のチェックは欠かせない。
 元々このブログを始めたのは昨年の8月16日、知人に背中を押され、呆け防止に文章を書きたいと言う欲求はあったので酔った勢いで始めたものである。当初はページビューの様なものは、どうせ誰に読んで貰えるものでもあるまいし、アクセスがなければ却って淋しいとカウンターの設定をしなかった。ところが件の知人に、そんなに捨てたものでもない、やってみれば励みになるしやってみたら、と又々背中を押されて始めたのであった。最近は久しくご無沙汰しているが、今更ながらの知人様々である。
 取り敢えず1年と思って始めたが、既に1年は過ぎた。しょっちゅう話題に困るのだが、一応多少の努力はしてなるべく休まないように書いている。それでも1年を締めて見れば60日位休んでいた。結局週休1日以上、僕の新入社員の頃の通勤日数程度であった。これからも余り肩に力を入れずに、もう少し頑張ってみたいと思っている。
 最近思う事がある。それはマニュアルが余りに厚くなり、複雑になっている事である。と言う事は、当該製品の操作がそれだけ複雑になっている訳である。パソコンなどは逆にマニュアルがすっかり減ってしまった。機能が多すぎてマニュアルには書き切れなくなり、逆に紙を減らしたものである。どうせマニュアルを貰っても置き場所に困るし、読める訳でもないのでパソコンはそれで良い。どうして突然そんな事を言い出したかと言うと、僕は日頃余りテレビは見ないので実は今頃になってやっと地デジ対応テレビを買い、古いテレビを持って帰ってもらった。その時に、捨てるマニュアルと新しいマニュアルの相違に愕然とし、日頃の思いを新たにしたのである。
 テレビのマニュアルはブラウン管テレビの時は小冊子で済んだが、今は昔のパソコン並みのマニュアルが付いて来る。そんなに色々な機能があっても、観たい番組が見られればそれで十分なのだが、やれ省エネだとか、明るさ対応、人の動きを感知するムーブセンサーだとか、メニューはてんこ盛りである。まぁ使わない機能は使わなければ良いので、幾らマニュアルが厚くてもそれ程の不具合はない。電化製品でも、不具合の時にコード番号が出てきたりして、マニュアルが無いと困る時もあるが、普段は動けば良いのでマニュアルは普段は仕舞ってある。
 一番困るのはカメラである。この頃のカメラはもうIT機器になってしまっていて、昔なら出来あがりを想像しながら自分で色々設定したものである。だからマニュアルはそれこそペラペラであった。それが今は1cm以上もある。カメラ本体は当然だが、ストロボにまで同じ位の厚さのマニュアルが付く。しかも、それらを持って歩かないと、いざと言う時に使い方が分からず肝心のショットを撮り損ねてしまうのである。内臓フラッシュの発光を止めるだけでも、やり方を忘れるともうお手上げである。メニューボタンが多すぎて、手当たり次第に色々触って見ても中々当たらない、その中にシャッターチャンスが逃げてしまい、もうどうでも良くなるのである。
 記憶力の衰退甚だしい年寄りには住み難くなったものである。この頃は一眼レフカメラを持ち歩く時はマニュアルを持ち歩いている。でもマニュアルと首っ引きではいざという時の役に立たない。それで、折角交換レンズなども何本か揃えたのに、結局はバカチョンカメラを持って歩く事の方が圧倒的に多いのである。