baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 元大阪地検々事の起訴

 先般無罪判決が出た厚労省局長の郵便料金不正事件に関連する証拠のフロッピーディスクを、検察のストーリーに合致するように改竄した大阪地検特捜部の元検事が起訴された。本人は反省していると言うが、彼の犯罪の影響は計り知れない。特捜部と言う、検察のエリートへの国民の不信、特捜部が捜査すればどんなに巧妙な犯罪でも公正に暴かれるという幻想の崩壊、もっともこの幻想は小沢一郎の捜査でも既に崩壊しているが、そして何よりも法の番人の不正と言う、国民をして何を信じて良いのか分からなくした罪は重い。今更幾ら反省して貰っても足りるものではない。
 彼は当然有罪だと思うが、罰に服した後も司法界に復帰するのは難しいようだ。当然の事である。罪への誘惑を断ち切れないような人物は元々司法には向いていなかったのである。罪を贖えばスクラッチとは言うものの、殊の外厳正を要求される司法の世界には復帰して欲しくない。これからは司法以外の世界で生業を立てて貰うしかなかろう。
 今後の焦点は、彼の上司であった元特捜部の部長と副部長である。ニュースを見ているだけだと、彼等も消極的ではあれ連座している可能性が限りなく高い様に思われる。もしそういう事実が認定されて彼等も起訴されるようであると、事はいよいよ検察の捜査や立件の手法に発展する。要は、検察の立件は、検察の描いたストーリーを組み立てる供述や証拠を並べ、特に供述に関してはストーリーを強化する方向で誘導し取捨選択していたのではないかと言う疑惑が募るのである。
 勿論、簡単に口を割らない意思の強い犯罪者や、知能の高い犯罪者は一筋縄では落ちないので、そこに検察側がテクニックを弄する事は当然である。犯罪者を追い詰め、自白を得る為にはある程度の恫喝や尋問技術、心理作戦は必要だと思うので、僕はそれらを全て封じるという意見ではない。また尋問の様子を全て映像に撮って公開すると言うのも、行き過ぎた人権保護だと思う。冤罪を作ってはいけないが、人権保護の名の下に犯罪者に有利になるような制度は認め難い。尋問で真実を引き出すに当たっては、時には精神的にある程度は追い詰める必要がある筈である。
 しかし、全ての容疑者を犯罪人に仕立て上げるのが有能な検事であると言う、誤った基準が検察内部にあるのだとすれば大問題である。それでは予断を持った捜査になってしまう。今回の元主任検事の犯罪も、エリートと目されたが為に容疑者を犯罪人に仕立て上げなければならないと言う強迫観念があったのではないか。そして、もしそういう雰囲気が検察内部にあったとすれば、これは彼個人の責に帰すだけでは済まない、根本的な検察の人事評価基準の誤りである。更には、検察にそういうベクトルがあるとすれば、犯罪の検挙率を問われる警察には間違いなく同じ捜査傾向と人事評価基準がある筈である。
 今回の事件は昨今しばしば話題になる、冤罪を作り出す原因をいみじくも国民の目に明らかにしたようである。となれば、この事件は日本の司法制度を徹底的に洗い直す格好の材料である。検察への国民の信頼を取り戻すには相当の時間を要するであろうが、今般の事件を契機に改めて日本の犯罪捜査、立件手法に徹底的なメスを入れ、検察庁に留まらず警察の捜査手法や人事評価基準をも検証して、今後の公正な法の執行を確立して欲しいものである。そうなった時には、冤罪でこの一年間を、或いは国家公務員としてのキャリアを棒に振った村木厚子の名前も後世に語り継がれ事になろう。