baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 B型肝炎訴訟

 B型肝炎訴訟で、政府が和解案を示した。集団予防接種での注射器の遣い回しが原因だとしてB型肝炎患者やその家族が国家賠償を求めた訴訟である。その政府和解案だと総額2兆円という膨大な財源が必要になるそうである。この件、僕はどうにも釈然としない。
 そもそもB型肝炎の感染原因は注射器の使い回しだけではない筈である。病気の感染経路など、余程特殊なケースでない限り発病してから特定出来るものではない。B型肝炎の感染経路などは無数であろう。それをどうして一律に国が責任を取らなければならないのかが判然としない。国が責任を取ると言う事は、我々納税者が連帯して、国の名の下に責任を取ると言う事なのである。我々一人一人の財布から万単位のお金が取られるのである。因果関係もはっきりしない事に、どうしてそんなに多額のお金を払わされるのであろうか。国が払うと言うと、何となく自分には関係ないように思いがちだが、国のお金は即ち税金なのである。
 僕もB型肝炎の抗体を持っている。原因は分からない。幸い発症していないからそれで良いのだが、僕の場合も注射器の使い回しかも知れない。子供の頃はツベルクリンであれ、BCGであれ、ワクチンであれ、一人一人に使い捨ての注射器を使うなどと言う事は一切なかった。使い回しが危険だという認識が、未だ医学界にもなかったのだと思う。
 本件に関しては、4年前に最高裁が注射器の使い回しを放置した国の責任を認め、賠償を命じたというから、何時かの時点で注射器の使い回しに警鐘がならされたのに対して国の対応が遅れた事があったのかも知れない。僕はこの件の事は勉強不足で良く分からない。しかし因果関係が立証できないのに、賠償を命じる最高裁の判決も僕には理解出来ない。どんなクレームであれ、因果関係がはっきりしないのに賠償に応じるなどと言う話は聞いた事がない。その上、昔の、未だ技術的にも科学的にも危険が認知される前にまで遡って賠償が適用されるとなれば、もう単なるゴネ得の話ではないか。
 技術的にも科学的にもその危険が認知されていない時の事まで賠償請求できるのであれば、例えば交通事故一つ取っても、タイヤの性能が悪かったのに速度制限が甘かった、ブレーキ性能が低かったのに交通ルールが対応していなかった、等と言う難癖が幾らでもつけられるような気がする。ましてや戦争に駆り出されて戦死したり、人生が大きく狂ってしまった人々への賠償はどうだったのであろうか。戦死した人に戦後何がしかの補償があったのかどうか僕は全く知らないが、少なくとも生きて帰った人には何の補償もなかったのではないか。棒に振った青春や、復員後の精神障害などは、これほど国の責任が明確であっても皆運命と、従容として受け入れているのではないか。
 原告側は政府の和解案の最高2500万円には応じられない、C型肝炎訴訟と同額の4000万円にしろと、未だ訴訟を続けるようである。原告側の弁護士にしてみれば賠償金が多ければ多いだけ、補償の対象者が広ければ広いだけ、それだけ実入りが良いから原告側を焚きつけてもっともっと吹っかけさせるのであろう。僕たち納税者はたまったものではない。こんな過去の、因果関係もはっきりしない事に少なくとも2兆円、原告側の主張が通れば3兆数千億円もの税金を使うのはどう考えても筋が通らない。精々肝炎患者の治療費負担を軽減する程度が妥当ではなかろうか。肝炎患者には気の毒と言えば気の毒だが、国の責任と言い切れない以上、やはり運が悪かったと諦めて貰い、医療費を軽減する事で妥協して貰いたい。ゴネれば金になる風潮は、弁護士の懐は肥えるが、結局は僕等納税者の負担が増えるだけの話だと言う事に改めて思いを馳せて欲しい。