baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 年の瀬

 いよいよ今年も残すところ1週間程で、随分と押し迫って来た。歳を重ねると一年の経つのが早くなると言うが、正に実感である。何だかダラダラと過ごしている中にあっと言う間に一年が過ぎてしまった感がある。時間が経つのが早いのと、この頃やっと朝晩が少し師走らしく気温が下がる様になったものの、昼間が暖か過ぎて季節感に欠けるのとで、どうも未だ後一週間で新年を迎えると言う実感が湧かない。今日も買い物があって、夕方神保町の三省堂までバイクで出掛けたのだが、夕方薄暗くなっても冬用のギアを着ていると汗ばむほどで、師走にしては随分と温かい。
 街も昔ほどアクセクしていない様で、師走とは程遠い感がある。流石に新宿は人出が多く、往復とも抜けるのに時間が掛ったが、新宿を外れると道路はそれ程混んでもおらず気が抜けてしまった。以前は、割に最近迄、年末はどこも大渋滞で、何だか誰も彼もが忙しそうに動き回っていたと思うのだが。
 僕が生まれ育った東京でも、お正月と言うと昔は大晦日までに家中大掃除をして庭もきれいにして、ゴミや落ち葉は焚き火にして、偶には焚き火にさつま芋を潜らせ、家中にしめ飾りをブラ下げ神棚はピカピカにして、母親は今頃になるとそろそろお節料理の準備を始め、夜は夜でみんなで炬燵で年賀状を書いたりして、何となく忙(せわ)しなかったものであった。もっと昔は我が家はお風呂が薪だったので、父親が年末には正月用の薪を割り溜めたりもした。
 年が明ければ、元旦には晴れ着を着せて貰った。少し窮屈になった靴も、お正月までは我慢して履き、お正月におニューの靴を下ろして貰った。父親も普段は着ない着物を着たり、母親も朝から和服で年始の客を出迎えたりで、何だか気分もワクワクした。隣近所がお互いに年始に回る習慣が未だ残っていたので、向こう三軒両隣には家族揃って晴れ着で「おめでとうございます」と言って歩いた。出入りのお店や職人が、手拭の一つも持ってお年始に来たりもした。そして、祖父母や親せきの家に年始に行き、お年玉を貰いお節料理を食べ、従兄同士で遊び転げた。年始回りが終われば僕は凧上げに夢中で、正月は食事時以外は何時も凧を上げていたものだった。お年玉はみんな凧糸に消えていたものである。家には来客が多く、皆帰る時には真っ赤な顔をしていた。
 それがこの頃は、家も洋風になり雑巾掛けも昔ほどはしなくなったし、掃除は掃除機がやってくれるので何だか大掃除という雰囲気ではない。しめ飾りを下げる部屋は減り、お節料理も適当に出来あいを買ったり外食したりして手が抜ける。近所同士の年始回りの習慣は東京では唐の昔に無くなってしまった。買い物はスーパーが主だから、馴染みの商店も殆どなくなった。年始回りをする親戚も少子高齢化で絶対数が減ってしまい、しかも車で出歩くから寒くもないし近郊なら時間も掛らない。核家族化が進んで、子供は少し大きくなると友達同士で何処かへ出掛けてしまい、正月と雖も昔ほど家族がずっと一緒に過ごす訳でもない。
 そう言えばこの頃の三が日は、昔ほど車が減らなくなった。東京を脱出して地方へ帰る人が格段に減ったもののようである。それどころか迷惑千万な事に、下手なドライバーがわっと出て来るので、幹線道路は結構な渋滞になる。着る物はと言えば、昨今は普段から身ぎれいになったから、特にお正月だと言って晴れ着を着る事もない。お正月の遊びはと言えば、今の子供達は気の毒に凧を上げる場所もなくなり、道路で羽根つきするのも危険になってしまった。或いはそういう遊びがもう面白くないのか、この頃はコマ回しをしている子供なぞとんと見掛けない。
 そんなこんなで、以前は随分と忙しい暮れ、そして年が明ければ普段とは大違いの、それこそ年に一度の楽しい正月だったように記憶するのだが、この頃は気候だけのせいではなく、何だか気分がもう一つ盛り上がらないのである。別にどっちが良いとか昔が懐かしいとか言う事ではないのだが、僅か半世紀で東京の正月は随分と変わってしまったものである。これが2050年頃になるとどうなっているのであろうか。きっと車は行く先をプログラムしておけば自動運転で勝手に走る様になっていて、酔っぱらっても乗れるようになっているのではなかろうか。その頃には僕はもう100歳を超えているから、流石に都内で車の運転は無理だろう。それならいっそ、車でも臆せず酒が飲めるようになるのは中々結構な事である。