baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 寒い朝

 今朝は東京でも寒かった。東京では初氷が張ったそうである。テレビでも新宿あたりの池が凍っている様子を映していた。道行く人も何とも寒そうである。天気は良いのだが、風が冷たくて昼間でも外に出ると寒かった。
 しかし、ふと想い出したのだが、僕が小学生の頃の冬の朝は東京でも毎日氷が張っていた。家々の勝手口に置いてあるバケツの水は凍り、外の蛇口には破裂止めの保温材を捲きつけてある。防火用水の表面にも氷が張り、子供たちが乗っても割れない位厚かった。昔は戦争中の名残で、其処彼処に小さな防火用水が残っていた。我が家の近所には大きな防火用貯水池もあり、そこは危険なので外から勝手に入れないように鉄条網で囲ってあった。火事の時に消防のポンプ車がそこから水を引いていた事もあった。流石に危ないと言い聞かされていたからそこに入った事はないが、そこの表面にはスケートでも出来そうな氷が毎朝張っていた。そして雪も一冬に何度か降った。降れば子供の長靴が埋まる位、数十センチは積もった。雪合戦はもとより、雪だるまや滑り台が作れる位には積もったものである。
 そんなに寒い時でも、僕は半ズボンで毎日学校に通っていた。長靴下も履かずに、普段着の上からジャンパー一枚の格好である。しかも氷を踏み割るのが楽しくて、道端の氷を探しては割って歩いていた。それでもそれ程寒かったと言う記憶はない。勿論、真冬には母親の手編みの毛糸のマフラーと手袋はしていたが、ズボンは一年中半ズボンであったし真冬でもセーターの上から薄いジャンパー一枚を重ね着する程度であった。
 家は今ほど密封されていない。縁側は木製のガラスの引き戸で、廊下の内側は障子一枚である。縁の下は風通しが良いのに、暖房は火鉢と炬燵だけで、ストーブという物が入ったのは大分経ってからである。小学校高学年の時に初めてガスストーブが居間に置かれ、中学になってからだと思うのだがやっと我が家でも石油ストーブを買った。未だ石油の臭いがきつく、焚き始めや消した時には油煙が上る旧式のストーブであった。学校では勿論、ダルマストーブに石炭をくべていた。今でも信州の蕎麦屋秩父の喫茶店でダルマストーブを見ると何とも懐かしいのは、当時の想い出が重なるからである。それと、ダルマストーブの温かさは何とも柔らかく心地良い。
 そんな寒い家と薄着で、今よりも大分寒い冬を過ごしていた訳である。以前なら毎朝当たり前であった氷が、テレビのニュースで騒がれる昨今の東京である。今ほど便利ではなかった分、昔の人間は順応性が高かったのかも知れない。或いは我慢強かったのか。そんな事を思うと、今はCO2の排出も減らさなければならないし、寒い時はもう少し寒い事に慣れた方が良いのかも知れない。戦後の栄養不良と、今より遥かに不便な時代を生きて来た僕の両親は二人とも長生きしたから、便利な時代だから長生きするとは限らない。高齢化社会は、社会が便利になったからと言うよりは医療の発達に因る処が大きいのであろう。遠からず、日本の財政再建と後世へのツケを軽減する為に、僕達も臥薪嘗胆を強いられるかも知れない。その時の準備の為にも、便利と快適に馴れきった怠惰な毎日を戒めて、少し自然に従順な日々を過ごしてみようかと思い到った今日の寒さであった。