baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 東北地方太平洋沖大地震

 今日の地震は凄かった。調度外から帰って来て、お湯を火に掛けたところで地震が来た。足下から振動が伝わって来て、あっ、地震だ、と思ったが別に普段の地震と変わらない。その中に揺れ出した。足下からの振動から数秒あったので、東海か東北、北陸辺りの地震かなと思った。普段はそこでグラッ、グラッと来たらお終いなのだが今日のは全然違う。グラッ、グラッと来てからどんどん揺れが大きくなって来て、そのうちにメチャクチャに揺れ出した。未だ立っていられたから、それでも大したことはなかったのかも知れないが、食器棚や棚が今にも倒れそうに揺れている。本箱を見たら猛烈に歪んで揺れている。買ったばかりの地デジ対応テレビが今にも落ちそうである。取り敢えずガスを消そうと思ったら、上手く出来たもので勝手に消えていた。消火装置が働いたもののようである。赤外線電気ストーブを点けていたのでこちらは念の為消した。転倒したら自動的に消えるようにはなっているのだが、赤外線装置は暫くは熱いので、念を入れて早めに消した。
 それから食器棚のガラス扉を体重を掛けて手で押さえた。こんなに揺れるのは生まれて初めてである。手で押さえるのと殆ど同時に、食器棚の上に乗せてあった箱が顔に落ちて来た。食器棚の中のワイングラスとコーヒーカップとミルク入れがガラス扉にぶつかって、コーヒーカップとミルク入れは棚の中の一番下に落ちた。ワイングラスはガラス扉に引っ掛かって宙ブラリンになった。幸い何れも割れなかった。部屋の中ではあちらこちらで、物が横っ跳びにすっとんで床に散乱した。本が本箱から飛び出した。後から見たら、洗面所でもシェーバーや化粧品が散乱していた。幸い落ちなかった物でも、元あった場所から20〜30cm動いていたりする。今日の地震は正直、少し怖かった。揺れが長くて、何時終わるのか不安になって来た。その中にやっと少しづつ揺れが収まり、結局は大過はなかった。これが我が国史上最大のM8.8の大地震である。速報では東京23区の震度は3となっていたが、そんな筈はない。震度5と言うのが僕の実感であった。
 しかし、その後も殆ど休みなく大小の余震が続く。最初の地震から30分程経ったところで、また大きな余震が来た。後から聞けばこれは余震ではなく震源地が異なる、M7クラスの別の地震であったそうである。結局余震は2時間半ほど殆ど途切れなく続き、その後も現在に到るも未だ頻繁に揺り返している。こんなに余震が長かったのも我が人生初めてである。専門家の言では、大規模な岩盤崩落が起きているので震源地が広範囲に亘り、余震が長いのだそうである。
 テレビで見た津波の勢いは、これまた物凄かった。アチェ地震の時の津波の模様は未だ記憶に新しいが、日本では警報が早く出されたので当時のインドネシアプーケットでの様な混乱は勿論ない。しかし、水が相当な早さで堤防を乗り越え、駐車場を舐めつくし、道路を超えて畑に侵入した時にはもう船や車や建物の残骸がいっしょくたになって、何処まで行くのか次々と通り道にある物を押し流してゆく。大きな船もまるで玩具のようである。その凶暴な水のちょっと先には未だ車が走っていたり、歩いている人まで見える。危ない、早く避難して、と心の中で叫ぶ。30秒前ぐらいまで車が走っていた少し高くなった道路も、あっと言う間に水没してその上を船や自動車が流されてゆく。
 20〜30分も水位が上がり続けていたであろうか。それが一旦最高潮位にまで達すると、今度は猛烈な勢いで水が引きだす。あんなところに巻き込まれたら遠く沖まで運ばれて、間違いなく二度と見付からないだろう。その後どうなるのかは未だ分からないが、第二波、第三波が来るかも知れないと言う。宮城県の映像では、波の中で壊れた建造物が火災を起こしている処もあった。
 東京でも10ヶ所程で火災が発生したと言う。九段会館では天井が崩落して多数の負傷者が出たらしい。仙台空港では滑走路が津波に飲み込まれて、上からみただけでは飛行場の痕跡はコントロールタワー位しか見当たらない。福島県相馬では津波が渦を巻き、逃げ遅れた船が翻弄されていた。東京では交通機関が全て止まってしまい、未だ余震が続いているので今日一杯はJRも私鉄も動かさない事を決めたと言う。帰りの足がなくなってしまった勤め人は、無理して帰宅しないようにと政府が呼び掛けている。早めに腹ごしらえをして、飲み物を確保して明日の朝まで事務所に籠城するのが一番賢明なのであろう。東京では、電話は相変わらず固定も携帯も、全くと言って良いほど役に立たない。東北地方や関東北部も同様のようである。枝野幸男は電話の需要が多いからである、と記者会見で述べていたが実体は電話会社が規制をしているものである。交換機の保護と緊急回線確保の為に、最大80%まで規制してしまうそうである。僕の電話は、唯一インドネシアからの見舞いの電話にだけ鳴ってくれた。
 もう6時間近く、殆ど絶え間なく余震に揺られっ放しなので何だかすっかり船酔いしてしまった。それにしても、三陸4県と茨城県の、特に沿岸の人達はお気の毒である。未だ被害調査どころではないが、津波の被害は想像を絶する甚大なものであろう。せめて犠牲者が少しでも少ない事を祈って止まない。