baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 気仙沼行き (3) 〜 ガソリンが足りなくて.....

 東京を出る時はガソリンが足りないなどとは思いもつかず、取る物も取り敢えず出発した。水や毛布やスナックやバナナなど、当面の救援物資はトランク一杯に積み込んだ。だがその時には、ガソリンを東京で満タンにする知恵は全くなかった。道路は4号線を東京からひたすら北上するか、距離的には遠回りだが新潟まで関越で行くか、考慮の結果関越を行くことにした。走り出したらラジオだか知り合いからのメールだか、ガソリンがややこしい事になっていると知った。そこで、赤城高原SAでガソリンを入れる事にして、トイレ休憩も兼ねてSAに入った。ところが吃驚した事に、SAのガソリンスタンドに既に車が長蛇の列である。始めてガソリンの現実を認識して、30分程並んで給油して貰った。何と一台20ℓしか入れてくれなかった。
 これは大変だと、新潟から日本海東北自動車道の終点の中条でもう一度ガソリンスタンドを探した。幸い24時間営業の店があり、しかもここでは未だ行列もなかったので満タンにして貰った。そこから少し中条に向かって戻り、113号線に入る。もう夜中近いので流石に113号線沿いのスタンドは全て閉まっている、と思っていた。4号線から仙台に行き、夜中から列を作った話は「気仙沼行き(1)」に書いた通りである。
 夜中に並んだガソリンスタンドが何時までも開かないので、翌朝は実はかなり迷った。気仙沼の状況が全く分からないから、中途半端なガソリンで気仙沼に辿り着けば、避難所や、場合によっては遺体安置所を走り回らなければならなくなった時に思う存分動き回れなくなる。かと言って何時開くかも分からないガソリンスタンドが開くのを待っていたら、また一日棒に振ってしまいそうである。色々悩んだ挙句に、ガス欠になればなったで何とかなるだろうと気仙沼にそのまま赴く事にしたのであった。気仙沼でお姉さんに会えた後、お姉さんの車が無事であった事が分かり、且つ未だガソリンが半分ほど残っていたので、少し離れた避難所へ母親と妹を探しに行く時はお姉さんの車を使わせて貰った。
 劇的な母娘と友人の再会の後、東京を出る時は母親と姉妹を東京に連れて帰る心算であったが、親戚の安否が分からない事や母親の意向もあり、取り敢えずは三人を被災地に残して一旦東京に戻る事になった。気仙沼を出発したのは夕方の6時頃であったろうか。ガソリンはいよいよ減って来た。仙台に近づいた処で僕と友人の意見が分かれた。僕は少しでも被災地から離れる方向に行けるだけ走ろう、と言う意見だったのだが、友人は家族が無事だった嬉しさもあったかも知れない、仙台に行けばもうスタンドも開いているだろう、牛タンを食べて帰ろうと言い張る。結局友人の意見に従い仙台でスタンドを探したが、やはり一軒も開いていなかった。食堂も未だ開いていない。仕方がないので、今日はホテルでゆっくり寝ようとホテルを何軒も歩いたがホテルも何処も受け付けてくれない。宿泊客はいるようなのに、僕等には冷たい。その理由が暫くして分かった。未だ水が来ていなかったのである。食堂がやってないのも然もありなんであった。
 これでは仙台に留まる意味も無いと、新潟を目指して走れるだけ走る事にした。4号線沿いは見込みがないから、また113号線を新潟方面に戻る事にした。仙台で大分時間を無駄にしたのでもう夜半を回っている。流石に疲れて来たので、米沢にビジネスホテルを取り、そこに一泊する事にした。同時に米沢まで行けばスタンドも開いているだろうと言う読みもあった。2時過ぎに米沢に着いて、改めて二人で乾杯をして二晩ぶりにゆっくり眠った。
 翌朝フロントに訊くと、米沢市内のスタンドは全て閉まっていると言う。ガソリンはもう予備、つまりガス欠の警告がフラッシュし始めている。また友人と意見が分かれた。友人はホテルに頼んで車を置かせて貰い、僕達は何とか一旦東京まで帰ろうと言う。僕は、未だ東京への交通手段も復帰していないのに車を置いて何処へ行くのか、と言う意見である。結局今回は僕が勝って、行ける処まで走る事にした。そもそも、前の日に仙台で給油せずに気仙沼に向かった時の決心もこういう事であった筈なのだ。
 ホテルのフロントに聞いた通り、米沢市内のスタンドは全て閉まっている。一つだけ従業員がいたスタンドがあったのだが、緊急自動車のみに給油するとして、幾ら頼み込んでも一滴たりとも入れてくれない。ホテルの話では山形県の小国町まで行けば未だスタンドが開いていると言う。その言葉を頼りにひたすら走り続けた。ところがもうそろそろ小国町、自治体の境界線では既に小国町に入った処でガス欠になってしまった。突然スポスポと車が止まってしまったのである。栗松トンネルという短いトンネルの直前であったが、もしトンネルに入ってから止まってしまったら随分危なかった。周囲は人家も見当たらない山の上で、未だ雪深い。まるでスキー場のような景色の山の中なのである。慌てて携帯を調べると、僕のソフトバンクの携帯は完全に圏外になっている。友人のドコモが極めて不安定ながらも、時々通話が可能である。そもそも三陸沿いではずっと不通であった携帯が、米沢まで来て初めて繋がり始めたのである。
 やっとの思いでJAFに電話をし、最初はノンメンバーだからと断られ、そこを何とかと頼み込んだら翌日になるかも知れないと言われ、こんな雪の中でヒーターも無しに一晩過ごす事になったら凍死するかも知れないと警察に相談したりもした。電波が安定しない不便な携帯で、通話中に何度も切れたりしながらあちこちと話している中に、何と図らずもJAFが来てくれた。この時は本当にJAFの若い職員が神様に見えた。10ℓのガソリンを運んで来てくれたのである。ノンメンバーだからリッター1000円近いガソリンであったが、背に腹は代えられない。
 勇躍道中を再開した。何と小国の最初のスタンド迄は僅かに3km位のことであった。あと一息の事であったのである。残念であった。小国で10ℓ、15リットル、18リットルと三か所で給油し、更に中条で20ℓ給油した時には殆ど満タンになった。そこで喜び勇んで帰路に着いたのであった。満タンあれば東京までは300kmちょっとであるから全く問題はない。しかし念のために上里で給油しようとしたら、高速道路のSAでありながらガソリンスタンドが閉まっていた。在庫払底で売る物が無くなったという張り紙がしてあった。仕方がないので嵐山で給油しようとしたら、今度はSAへの入り口から車が長蛇の列で高速道路に延々と並んでいる。別にガソリンが足りない訳ではないので、ここもパスした。三芳のSAではもう諦めて見向きもせずに通り越した。
 東京に戻り、満タンにして洗車しようと思ったら、自宅の近くの普段行き付けのスタンドは閉まっていた。曰く、ここでも在庫払底の為だと言う。気仙沼の悲惨な実態を見たばかりで、東京でガソリンが買い溜めの為に払底してしまった事に腹を立てて、先日のブログになったのである。今日も近所のスタンドは未だ閉まっている。一方で環七や甲州街道沿いのスタンドでは長蛇の列であった。要る物は入れたら良い、別に要る物まで我慢しろと言う心算はない。しかし東京で、長蛇の列に並んでいる皆が皆ガソリンが必要不可欠だとは到底思えない。もしそこに利己主義があるなら、利己主義は捨てて本当にガソリンを必要としている人に譲るのが人の道であると思う。