baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 日本の安全規制基準

 内閣府食品安全委員会が、野菜などの食品や飲料水の放射性物質規制基準を見直すと言う。先日は厚労省が、原発作業員の放射線被曝限度を見直して、非常時に限り限度を2倍に引き上げたばかりである。食品安全委員会曰く、「年5㍉シーベルトを基準としている厚労省の基準は厳しすぎる。国際基準並みに引き上げるべきである」そうだ。しかし、いざと言う時の為の規制基準である筈である。いざとなった時に具合が悪くなると、直ぐに見直すのであれば何も無いのに等しい。日頃何もない時には厳しくて、いざ緩急あれば一挙に規制緩和するのであれば何の為の規制基準なのか、全く意味をなさない。
 僕は普段から主張しているのだが、日本の規制は安全係数が高過ぎる。食品の賞味期限や消費期限は、大幅に期限を過ぎたところで食するには全く問題がない物が大部分である。だから、賞味期限はともかく、消費期限はもっと大幅に緩和しても良い筈と本ブログでも主張していた。平時の規制値が無意味に厳し過ぎるのである。更に思う。そもそも、昨今の日本人は全体に他力本願になり過ぎている。食品の消費期限にしても、本来は自分の五感を信じて判断すべきものの筈である。それを、商品に書いてある期限を金科玉条の如く信奉して、一日でも経過していれば廃棄し、期限内であれば大威張りで、何の防備も無しに食するのである。そして、何かあれば直ぐにメーカーなり国なり自治体を訴訟する。そこには少しも己の判断が働いていない。僕に言わせれば無防備、無責任甚だしい。一方のメーカーや国や自治体も、消費者訴訟で負ければ被害が大きいから、余程の事が無い限り絶対に安全な、安全係数の酷く大きい基準を設定する。
 放射能の如く、影響が直ぐには分からない、五感では感じられない危険については、国や自治体が安全を守らなければならない。しかし、その安全基準が今回の様に直ぐに変わるようなら全く無意味である。しかも極めて安全係数が高いにも拘わらず、その規制基準に抵触するからと直ぐに摂取自粛や避難を求めるから、外国人居住者を初め海外から不必要に日本が危険視される。横須賀基地の米軍家族はどんどん本国へ逃げ帰り、フランスは在留フランス人を脱出させる為に軍用機まで飛ばしてフランス人を無料で本国へ運んだ。欧米人が大騒ぎするのは自分で判断する知能がないから仕方がないが、そこまで騒がれる日本は、その実体から考えても本当に馬鹿げていると思う。それも偏に日本の規制基準の安全係数が、国際基準から見ても大き過ぎるからである。
 更に、枝野官房長官の無責任極まりない自主避難勧告や食物摂取に対する警告が追い打ちを掛けた。福島や茨城、栃木の葉菜や、福島の原乳にしても、政府として出荷停止を指示しながら、その補償については何ら説明がなかった。要するに国民を不安に陥れるだけで、対策が一切示されない無責任極まりない政府発表なのである。農家はどうしたら良いのか全く途方に暮れてしまう。そこへ追い討ちをかける自主避難勧告である。強制はしないが、逃げた方が良い、などと訳の分からない発表である。一体どうしたら良いと言うのか。こんな勧告は政府としての責任回避以外の何物でもなく、徒に人心を混乱させるだけである。無責任で卑怯極まりない政府発表、枝野官房長官の記者会見である。
 先ず、日本人はもう少し自主的になろう。何でも他力本願で、いざ問題が起きれば訴訟、ではなく、自分の五感で自分を守るという基本に立ち返ろう。人間には本来、自己防御本能があるのでる。次に、国や地方自治体は身の安全を慮るが余りに、安全係数を大きく取るのは止めよう。その為にどれだけの無駄が発生していることか。エコの観点からも一度見直した方が良い。その代わり、今回の様にいざとなった時に簡単に基準を変更する事はあってはならない。いざという時の安全基準なのだから、いざと言う時には徹底的に遵守すべきなのである。今回の原発事故は、安全基準が何たるかをもう一度考え直し、全ての安全基準を見直す良いきっかけになったと思う。