baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 夜月

 ヴェランダに出て、夜風に当たりながら月を見ていた。少し右側が暗くなり始めているが、未だ肉眼では殆ど満月である。雲もなく、中々風流である。などと思っていたら、旅客機の航空灯が点滅しながらこちらにやって来る。以前はこんな時間には旅客機は飛んでいなかったから、羽田を離陸した航空機であろう。羽田発は随分遅い時間に発つ飛行機がある。そのうちに微かに轟音が聞えて来た。もう随分高度が上がっているようだ。

 写真にしてみると、満月と思った月はやはりもう欠け始めている。それにしても、もっと月の表情を撮りたいのだが、どうしてもカメラが言う事を聞いてくれないで、こんな真っ白の写真になってしまう。これじゃまるで、モノクロのネガフィルムの日の丸ではないか。もっと暗い写真にしたいのだが、僕のカメラは躾けが行き届いていないので、露出不足と不平を言ってシャッターが下りてくれない。結局カメラの言いなりになってしまう。もう少しマニュアルを勉強して躾けをしないといけないのだが、デジタルカメラはマニュアルがぶ厚過ぎて、読んでも直ぐに忘れてしまう。それに比べると、昔の銀塩カメラは単純で素直だったから扱い易かった。
 この頃は眼が悪くて、こんなにはっきりした月でも肉眼ではボヤけて見える。何とも情けない。そんなだから、免許の書き換えの時はいつでも緊張する。特に大型免許は視力検査が普通免許よりも厳しく、両眼視力は0.8必要で、更に深視力検査もある。深視力は平気なのだが、天気が悪い日などは片目0.8が結構厳しい時がある。僕は昔は視力は2.0まで見えていた。遠視と言われるのが嫌で、何時も1.5から先は「見えません」と答えていたが、実は2.0でもはっきり見えていた。僕が子供の頃は未だ戦後間もなく、坂井というゼロ戦パイロットの撃墜王が英雄であった。彼は視力4.0を誇り、常に敵よりも早く相手の機影を見付けたので空中戦には滅法強かったと言う。うろ覚えだが、確か80数機撃墜したと言われていた。だから子供の時には遠くが見えるのが得意であった。それがバングラデシュに駐在してから急に近視になってしまった。
 昔のバングラデシュは電気の事情が悪くて、しょっちゅう停電になる。それも一度停電になると3日位電気が点かない事も珍しくなかった。当時は本社との通信手段はテレックスと電話だが、電話は交換手経由で中々繋がらないので、テレックスに頼る事になる。このテレックスも停電だと動かないので、本社とは全く通信が途絶えるわけだが、それでも仕事は待ってくれなかった。ダッカの事務所の僕の部屋は中廊下に面していたので、停電になると室内は昼間でも真っ暗になる。だから蝋燭を机に二本立てて、暑いのを我慢してランニングシャツ一枚で仕事をしていた。しかし蝋燭二本位では、目に良い筈がない。栄養失調と相俟って、あっと言う間に近視になってしまった。もう35年も前の話である。ついでに言うと、この時の栄養失調が祟って、今では骨粗鬆症にもなっている。骨密度は30歳までが勝負だそうだから、若い人は栄養をしっかり摂り、運動をしておく事だ。僕達はと言えば、貿易立国の最前線などとおだてられて、随分と無理をしていたものである。
 何時まで経っても視力が落ちた事に慣れず、別に撃墜王になる積もりはないけれども、今もってボヤけた月の輪郭を見る度に何とも情けない気持ちになる。今は空が明るいから星の事は気にならないが、もし空が暗かったら昔見えていた星が見えなくなっていて、もっと情けない思いをした事であろう。