baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 東京に廃線の跡

 今日は、朝起きて元気だったら岐阜県の水鳥断層を観に行こうかと思っていた。それで一応6時前に起きて天気予報を見たら、東京も中京も山梨も長野も午後は雷雨があるというご宣託である。最近の豪雨は半端ではないので、ちょっと腰が引けてしまう。それにも増して、先週は木曜日の朝にジャカルタから夜行便で戻り、金曜日は朝から名古屋に出張し帰宅は午前様、昨日は遊びとは言え朝から逗子まで出掛けていたので流石に今日は疲労困憊で、また寝直した。
 午後、昨日買ったマンガ雑誌を読んでいたら東京は晴海に廃線の跡があると言う。早速インターネットで調べてみたら、なる程記事が沢山載っている。中には殆どオタクの人のブログもあり、写真が無数に掲載されていて詳細な説明も付いている。戦後、越中島から豊洲埠頭、更には晴海埠頭まで貨物線が走っていたと言うのだ。僕は別に鉄道オタクでもないし、廃線に特別な感慨もないのだけれど、持ち前の好奇心が俄然頭を擡げ、撤去される前に暇つぶしにバイクで探しに行く事にした。晴海や豊洲なら家から1時間と掛らないから、運動がてらにも調度良い。空も、雲は低いが雨が降る様子もない。
 先ずは塩浜にある廃線の跡を見に行った。行ってみて分かったが、事前に下調べして場所をピンポイントで把握していないと到底分かるものではない。これは汐見運河から枝分かれしている運河に懸かる、白鷺橋から取った現場の写真であるが、ここに廃線跡があるとは想像も付くまい。

 正面のマンションの下の駐車場の奥の木立がその場所である。そこは周囲が金網で囲われている、60坪位であろうか、今はただの空き地である。金網の中には信号の操作盤か何かが未だ打ち捨てられていた。

 そして、線路跡である。

 狭い土地と共に、どうしてこれだけ残してあるのか、東京都港湾局の敷地らしいが役人の怠慢としか思えない。廃線になってから既に20年以上もこうして囲いをして、目的も無く残してあるもののようだ。
 この線路を銀座方向に行くと、晴海橋という鉄橋が残っている。この鉄橋に並行して懸かる道路の橋は春海橋と名付けられている。恐らく鉄橋と間違わない様に、当て字で名付けられたものであろう。春海橋は今まで何度も通っているが、横にこんな打ち捨てられた鉄橋があるのには気付かなかった。晴海にありながら春海橋と言うのは変だな、とは思っていたがその謎も今日解けた気がする。


 鉄橋の下を、たまたま水上バスが遡上して来た。新旧のコントラストである。

 近くには、セメントの積み出しと思われる貨物船が舫ってある。

 そして橋の反対側へ行けば、背景には高層マンションが聳え立っていた。

 今日は東京都の歴史探索気分である。この貨物線の廃線の跡はまだあちらこちらに少しづつ残っているらしいが、僕の好奇心はこの辺で底をついた。