baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 近藤誠著「あなたの癌は、がんもどき」

 最近、知人の勧めで表題の本を読んだ。こういう意見がある事は前からうっすらとは知っていた。しかし、こういう際物が如き題の本は読まないどころか、普段は避けるのが普通である。今回は、尊敬する知人の勧めだったので、正直余り乗り気ではなかったが注文することになった。本が届いてみて分かったのだが、近藤という慶応病院の放射線治療を専門とする医師は、乳癌の乳房温存手術を提唱した日本での草分け的な医師であった。確かに今から四半世紀程前の日本では、慶応病院と、別の大学病院の、全国でもたった二病院が乳房温存手術を提唱していたに過ぎず、乳癌手術と言えば全摘が普通で、その結果は術後の運動障害などの問題になっていたという記憶がある。当時月刊誌に慶応病院の医師による、乳房温存手術についての事細かな記事が載っていたが、おそらくその筆者が近藤であったのだと思う。そんな事から急に筆者に対する信頼感が芽生え、一気に読んでしまった。
 筆者の癌理論は、既定概念を根本から否定するものである。一冊の本をここで簡単に網羅する事は不可能だが、筆者は先ず血液やリンパの癌を除外して、固定した臓器に発生する癌に議論を限定する。そして、人間が癌で死亡するのは原巣ではなく、転移によって初めて死亡に到ると言う。その上で、癌には最初から悪性と良性があり、転移するのは悪性の癌のみである、良性の癌は増殖しても転移はしないからそれだけで人間が命を落とす事はないと断言し、良性の癌を悪性と区別する為に「がんもどきと」と名付ける。そして、悪性と良性の違いはDNAにあり、それぞれの細胞がそのDNAの指示で作る酵素の違いにあると言う。
 その前提で、既に癌が見付かる程に成長していれば、もしその癌が悪性なら必ず既に何処かへ転移しているし、良性なら放って置いても何ら問題はない。だから膨大なX線に被曝してまで、CTなどで癌を無理矢理探すのは百害あって一利もない。しかも癌が見付かったと言って手術をすれば、がんもどきであれば全く無意味な手術で体を痛めつけるだけだし、悪性であれば既に転移しているから原病巣だけ切除しても無意味な上に、手術をする事によって間違いなく癌細胞を散らし、更に寿命を縮めると断じる。
 更に言う。癌細胞は基本的には正常細胞とDNAなどでは殆ど区別がない。正常細胞と異なるのは、増殖メカニズムがコントロールされているかいないかだけであると言う。従い、体の免疫機能からは癌細胞を異物とは捉えられず、免疫療法は意味がない。或いは抗がん剤放射線治療は、癌細胞を攻撃すると同時に、癌細胞と殆ど区別のつかない正常細胞をもどうしても巻き添えにするから、やはり寿命を縮める。だから一番良いのは、癌など検査で見付けない事である。癌細胞が増殖して、日常生活に不便が生じたり痛みが出たら、それから対症療法をするに限る。それでも、もしそれが良性癌であれば、それで死ぬ事はない。それが一番長生きする秘訣である。人間は、生を受けたからには何れは死ぬ運命にあり、同じ死ぬなら抗がん治療や放射線治療で苦しい思いをして晩年を過ごすよりは、好きな事をして天寿を全うする方が良い。実際、悪性癌に罹っても直ぐに大きくなるとは限らず、何も治療をせずに10年以上生きた例もある。しかも癌を患っているからと言って、必ずしも癌で死ぬとは限らない。だから、成り行きに任せて何もしない方が、結局は人生を楽しめる。
 どうして日本ではこうも検診が流行るかという段もあり、要は戦後に出来あがった制度に色々な利権が絡み、今は医療機関は検診や、或いは一般検診に続く生体検査、精密検査、CT検査などがなければ立ち行かない。因みに、CTの機械は世界全体の設置台数の三分の一が日本にあり、高価なこの装置を動かさないと医療機関は立ち行かなくなる。製薬会社も、検査関連や抗がん治療がないと打撃が大きい。外科医は癌手術がないと収入が減る。これらが凭れ合って今の医療制度があり、厚生行政があると言う。文章は淡々としており、現在の医療体制に組みする人達への罵詈雑言などは一切ない。それだけに、逆に説得力がある。ついつい筆の勢いで罵詈雑言が止まらない僕には、身につまされる。惜しむらくは、現代医療では、癌が見付かればとにかく治療を始めるから、近藤医師が主張する様な癌を放置するケースが殆どなく、実例に乏しい事である。
 一方で、こういうセンセーショナルな意見には反論は付きものである。特に医療には素人の僕にすれば、一方的に新しい意見を吹き込まれても判断が付きかねる。そこで、斎藤建という病理医が著した「『がんもどき理論』の誤り」と言う本も一緒に購入した。がんもどき理論を読んだので、早速こちらも紐解いた。斎藤建は、自分は病理医なので製薬会社とは全く利害はないし、外科医や放射線治療医とも直接の利害はないから、一番客観的な事が言えると自分で断っている。しかし、残念ながらこの二人の意見は前提からして立場が違うので、まるで議論が噛み合わない。斎藤は、癌は一定の大きさにまで増殖すると転移を始めるから、そうなる前に早期発見して、癌細胞をやっつける必要を説く。そうすれば長生きできると言う。近藤は、癌になってもその癌ががんもどきであれば、放って置いてもそれで死亡する事はない、仮に悪性癌であっても取り敢えず何もしない方が良いと言う。
 これはかなり根本的な相違である。、現在の遺伝子工学などを駆使すれば、それ程時間を掛けずとも真相は科学的に解明し得ると思うのだが、未だ「がんもどき」理論が異端である為にその動きもないようである。しかし非常に興味深い主張である。
 翻って、自分の事を考えてみる。僕は、平均的な日本人として、年に一度の定期検診を受けている。そして、加齢と共に精密検査だとか生体検査などを追加で受ける事が増えて来た。昨年は、MRIによる脳梗塞の検査を受けた。MRIでは被曝はないが、携帯電話の電磁波の発癌性が言われる昨今であるから、強力な電磁波を出すMRIが安全かどうかは分からない。そんな僕が、或る日突然癌が見付かったと言われたとしよう。さあ、どうするであろうか。近藤理論を信奉して、放って置いて欲しい、自分の人生は自分が決めると言い切れるだろうか。自信がない。ましてや、医者に一刻も早く患部を切除して、後1年位抗癌治療と放射線治療を続ければ、5年生存率は半分以上、などと言われて果たして手術や抗癌治療を拒否できるであろうか。今は現実ではないので、想像も付かない。