baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 原発停止と電力不足

 日本の原発が、13ヶ月ごとに義務付けられている定期点検が終わっても運転再開の目途が立たずに、日本全国で電力不足が懸念され始めた。原発の早期運転再開を目指す電力会社の、必要以上の危機感の演出であるという見方もあるが、しかしやはり日本全体で30%にも達する原発が全て止まれば、幾ら効率が悪くて停止している火力発電所を再稼働させても原発の穴は埋められまい。しかも、その高運転コストを現行の電気料金で吸収しろと言ったところで、その体制が長期に及べば電力会社が畏まりましたと言うとは思えない。
 定期点検後の原発再稼働の目途が立たない理由には二つある。一つは菅直人の思い付きによる浜岡原発のみの突然の運転停止要請である。どうして浜岡だけなのか、という疑問に対する説明が全くなっていなかった。80%以上の確率で東南海地震が来ると言われている、という言い尽くされている説明だけでは他の原発地域の住民には納得できない。浜岡は危なくてどうして自分の処は安全だと言い切れるのか、と言う疑問には何ら答になっていない。更に、国としての原発に対する政策も、浜岡以外は従来方針を維持、と言うだけでは福島第一原発の事故を目の当たりにした国民には不十分で、もっと緻密な説明が求められる。全く総理大臣の資質に値しない、神経だけが人並から度外れて太い人間が、間違って総理になってしまったツケである。
 さらに「減税日本」に代表される、昨今のポピュリズム政治の蔓延も無縁ではない。民主党や愛知県、名古屋市に代表される政治のポピュラリズムへの急速な傾斜、それを支持する無責任な国民、そういう風潮の中で何処の自治体の首長も原発運転再開においそれとはゴーサインは出せない。更に、運転再開の目途が立たないのに地域への色々な名目での電力会社からの莫大な支援金が殆ど減額されないのも、地方自治体首長を気楽にさせてしまう。
 二つ目は、政府が原発の運転の最終的な責任を地方自治体に押し付けている現行の制度である。原発は、今般の福島第一原発事故を見るまでもなく、一度事故が起これば単に一地方自治体の問題ではなく、国家的な問題である。これ程重大な問題を、最終的に地方自治体に押しつけるのにはどう考えても無理がある。やはり政策として、国が責任を持たなければいけない。
 僕自身は当面は原発の全面停止はあり得ないと思う。原発が危険である事はもはや明白であるから無くなるに越したことはないが、代替エネルギーの発電能力やコスト競争力にもう少し目途が立つまでは止めるべきではない。原発を全面停止した際の地球温暖化に与える影響のアセスメントも、改めて必要ではないかと思う。
 現実に、原発を全面的に廃止すると決めたドイツは2022年までに、スイスは2034年までに、と言っている事からも分かる様に、今まで原発に頼っていたものをいきなり来年からゼロにしろと言っても無理がある。しかも、欧州は最悪時には国境を越えて電力の輸出入が可能であるが、島国の日本ではそれも不可能である。にも拘わらず、日本では政策として何も決まらない中から、今のままでは来年には全面停止になりかねない事態に陥っている。無能な菅直人には未だ頭が回っていないだろうが、これは国の経済にとっても大問題となる。そういう現実がありながらも、原発即時停止という暴論を吐いて日本の将来を踏み躙ろうとするのは、無邪気な市民活動を装う共産党社民党の左翼活動家だけである。
 現実に30%の電力供給が止まり、代替の効率の悪い高コストの発電施設がカムバックして、高い上に不十分な電力しか供給できないとなれば日本の産業には間違いなく重大な悪影響が出る。正常時ですらコストの高い日本の電力が、更に量的にも不足するとなれば日本の製造業は否応なしに海外シフトするしかない。産業の空洞化が更に進み、国内の雇用は益々悪化する。
 先ずは早急に東日本大地震の経験を活かし、地震学者の研究成果を謙虚に聴き、政治家や電力会社から独立した組織による現在の原発立地の安全性の再評価をする事が喫緊の課題であろう。その結果を踏まえて、今後の原発に対する政策を明確に決める必要がある。そこには立地を誤ったとして廃止する原発も出るかもしれないし、運転継続となる原発もあるかも知れない。しかし、それまではやれ浜岡だけ止めろだの、2020年代の早い時期にクリーンエネルギーの比率を20%台にするなどと言う、政治家のパーフォーマンスだけの空虚な掛け声は勘弁願いたいものである。現在の人智を尽くした検証と利権を離れた議論を通して、改めて原発を含めたエネルギー政策を早急に作り直さないと、日本の産業は国際競争から一人取り残されてしまう。