baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 塵功記

 今日は突然真夏の暑さになった。朝から仕事で出ていたが、昼過ぎにはアスファルトの照り返しも真夏の様になり、普段は足早の僕も流石に今日はノロノロと歩くしかなかった。道行く人は一様に、しっかり茹で上がって釜から上がったばかりの石川五右衛門の様な顔をして、ふうふう言いながら歩いている。夜になっても一向に涼しくならず、東京はいまも28℃だそうである。熱中症になりそうで、頭が全く働かない。これで節電とか言われて思うようにクーラーも使えないと、今年の夏はどうやって凌ごうかと途方に暮れてしまう。
 死にそうに熱いので、今日のブログは少し手を抜こうと色々考えて、昨日スーパーコンピューターの話で「京(けい)」という名前が出て来たので、京の延長を書く事にした。「京」は「兆」の1万倍の桁の日本での呼び名である。その続きは「塵功記」に書いてある。「塵功記」は江戸時代、1627年に吉田光由という数学者が著した、ありとあらゆる単位や計算の仕方などが書いてある本である。和紙の和綴じの本であるが、残念ながら僕には殆ど読めない。草書体の漢字で書いてあり、これが僕には歯が立たないのである。
 読めないなりに「京」の上の単位を辿ると、「がい(手書き入力しても漢字が出て来ない)」「じょ(同)」「穣(じょう)」「溝(こう)」「澗(かん)」「正(せい)」「載(さい)」「極(ごく)」「恒河沙(こうがしゃ)」「阿僧祇(あそうぎ)」「那由他(なゆた)」「不可思議(ふかしぎ)」「無量(むりょう)」「大数(たいすう)」となる。何れも其々の1万倍の単位である。即ち大数は10の72乗という、もう訳の分からない桁数の数字である。
 小さい方は、分(ふん)、厘(りん)、毫(もう)、絲(し)、忽(こつ)、微(び)、繊(せん)、沙(しゃ)、塵(じん)、挨(あい)となる。分、厘、毫、絲位までは僕が就職した頃には未だ金利計算などに残っていた。塵功記には特に書いてないのだが、これは何れも其々の10分の1の単位だと思う。即ち挨は10の−12乗程度だから、昔は小さい物には余り意識が向かなかったのであろう。自然の大きさや、天や海の広さに比べると、例えば長さで言えば一寸の1兆分の1、即ち1,000分の3ナノメーターなどという大きさは当時の知識ではもう無限に小さかったのであろう。
 算盤も出ている。何と4つ珠の絵が出ている。古い算盤は五つ珠と思い込んでいたが、現に僕の祖母は五つ珠を使っていたが、17世紀初頭に既に四つ珠が使われていたようである。算盤による加減乗除も出て来る。因みに僕達が小学校の時には算盤の授業があり、会社に入った時には新品の算盤が支給された。まだ計算機は普及していなかったので、計算はすべて算盤に頼るしかなかった時代である。それが1970年の事である。
 他には、田んぼの広さの数え方、金属の測り方、九九、九九はこの頃から9x9までである。俵の積み方ごとの数の数え方、即ち底に何俵並んでいて高さが何段なら何俵ある、と言った一々数えるのを省略する方法や、薪、たばこ、灯油、両替、作木綿、船賃、更に土地の広さは陰地の計算方法まで網羅してあり、凡そ江戸時代の市民の数字に関わる事の辞書のような本である。残念ながら読めないのがもどかしいが、この時代にこれだけ算術が進んでいた国はそうはなかったのではなかろうか。江戸時代の人は皆、この本をテキストにして算術を勉強したと言う。最近でこそ日本の子供の算数や数学の実力は、中国、韓国、シンガポールなどの子供達に凌駕されているが、一昔前までは日本人の算数や数学の実力は世界中で一目置かれていた。暗算力などはそれこそ刮目の的であった。こういう事も、昔からの日本人が培ってきた算術のDNAを受け継いでいたからであろう。