baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 今日はインドネシアの独立記念日

 今日はインドネシアの66回目の独立記念日で、当地は休日である。昨晩の飛行機で帰りたかったのだがどう頑張ってもどうしても席が取れず、已むを得ず今日はやる事も無くホテルのテレビで無聊を慰めている。テレビには独立を祝う歌が流れ、スカルノ初代大統領が独立宣言する場面の白黒フィルムが何度も流される。「......インドネシア民族を代表して、1945年8月17日、スカルノ、ハッタ」と言う有名な宣言である。日本の軍人が草稿を手伝ったと言われている。日本の軍人が、相手はオランダの軍人だろうか、背の高い白い制服の軍人に降伏する場面のフィルムも流れた。実際には1945年にはオランダ軍はいなかった筈だから、捕虜にしていたオランダ軍人だろうか。「インドネシア独立の歌」が、繰り返しテレビから流れてくる。
 独立記念日の行事は以前も本ブログに書いた事があるが、毎年変わらず続いている。今年は久し振りにその実況中継を見た。9時半頃から閣僚を初めとする国の幹部、歴代の大統領やその家族、各国大使などが独立記念広場の特設会場に勢ぞろいする。そこへ大統領が入場する。大統領、閣僚、各国大使、その他の来賓は夫人同伴である。広場には既に各軍の儀仗兵、軍楽隊、国中から選抜された身体・学業・見かけ、何れもが優秀麗眉な男女高校生が整列している。昔は見掛けなかったが、今年は女性の儀仗兵も見受けられた。女性の社会進出が着実に進んでいるようである。
 10時になると17発の号砲が鳴る。小銃ではなく大砲の空砲である。近くの広場に大砲が5基ほど据えられ、順繰りに発砲される。儀仗隊の隊長の大音声の号令一下、兵士と高校生がキビキビと行進して所定の位置に付く。国会議長が独立宣言文を、原文のまま「スカルノ・ハッタ」と最後まで読み上げる。一群の男女高校生が、国旗を囲んで式場の中心に進み出てくる。国旗は座布団の様な金色のクッションに載せられ、一人の女子高生が捧げ持っている。この役目を仰せつかる女子高生一名と、国旗掲揚を担当する男子高生二名が今日の最高の栄誉を担っており、選抜された優秀な高校生の中から更に選抜された生徒達である。今年の国旗係の女子生徒は特に美人であった。国旗掲揚台の前で、女子生徒が差し出す国旗を二名の男子生徒が儀式に則って掲揚する。大統領(国軍最高司令官)以下の軍人は敬礼して、儀仗兵は捧げ銃をして、微動だにせずに国旗が揚がるのを見守る。国歌が流れる。何度見ても肌が粟立つ瞬間である。国旗が揚がると、高校生は元の場所に戻る。男女ともイスラム帽のような黒い帽子を被り、男子は純白な詰襟服、女子は同じ詰襟の上着に、これも純白なスカートと膝までのストッキング姿である。行進は男子は膝を曲げずに腿が水平になるまで高く上げ、手も水平になるまで振り上げる。女子は膝は曲げるが、後は同じである。ナチか北朝鮮の軍隊を彷彿させるのが難だが、なかなかに凛々しい。法務大臣イスラムの祈りを捧げる。アラビア語だから何を言っているかは全く分からない。大統領の主導で一分間の黙祷を捧げる。何に黙祷するのかは聞き忘れた。
 黙祷が終わるとブルーインパルスが上空に現れる。機種はスホーイの様であるが、しかとは分からない。6機編隊である。都会の真中なので難度の高い飛行はしないが、それでも固まって飛んできたのが、煙を吐き出して四方八方に円を描きながら分かれて飛び去って行く。僕のホテルからも轟音が聞こえたが飛行機は見損なった。煙だけが窓の上に漂っていた。
 独立記念日がはっきりしているので、独立記念日と言う特別な日を国民が一緒になって祝えるのが羨ましい。日本には実際にはそういう特別な日がないので、独立国家という意識が希薄になり、国体や国旗・国歌に対する想いも希薄になってしまう。建国記念日などと言われても、何の感慨も湧かない、単なる休日に過ぎない。国と、その象徴である国旗・国歌に誇りを持って、独立している事の有り難味を毎年実感するのは有意義だと思う。日本でも何かそういう機会が持てないものかとも思うが、後付けで無理をしても一利もあるまいから、現実には難しい。それどころか、例えば8月15日をその日にされたりすると、戦後の米国のカリキュラムが醸成した被虐的な歴史観が益々浸透するのを後押しする事になってしまい逆効果になる。と、名案は浮かばぬままであるが、独立国家という意識が希薄だから、国境などにはまるで無関心、だから当然領土問題にも殆ど関心を持たない日本人には困ったものである。