baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 四日市へ

 今日は仕事で四日市へ行って来た。名古屋や、反対向きの刈谷へは良く行くのだけれど三重のほうへはついぞ行った事が無い。昨年奈良の友人宅へ行った時に伊勢湾道路で通った位、近鉄電車にももう何十年も乗っていない。そもそも近鉄電車に乗った記憶もなくて、生まれて初めてではないかと思ったりもしたのだが、蟹江を通って思い出した。蟹江には大昔に取引先があり行った事があった。伊勢湾台風で大勢の犠牲者が出た町だという記憶が、取引先へ行った記憶と重なった。近鉄線の沿線は今でも田んぼや畑が拡がっている。東京ではとんと見掛けない、玉蜀黍くらいの背丈の、ススキのような草があちらこちらの畦道や空き地に茫々と茂っている。田んぼは穂先が少し黄金色になりかけていて、もう直ぐ取り入れの季節が来るのだと思わせる。
 更に四日市へ着いて思い出した。学生時代に一度だけ、素人オペラの伴奏のアルバイトで、これも素人オケの一員として行った事があった。演奏会の時だけ団員のような顔をしてオケで弾く事を「トラ」と言い、当時は良いアルバイトであった。「トラ」はエキストラの略である。モーツァルトが被っている様な鬘を被せられ、黒いストッキングに白の乗馬ズボンの様なズボンを穿き、縁取りをした赤色の裾の長い上着を着て、宮廷楽師の格好で演奏した記憶が蘇って来た。当時は駅を出ると周囲は広々としていて、遠くに細長く高い煙突が見え、そこから炎がチラチラしていたような気がする。高層ビルがなくて、石油コンビナートが廃ガスを燃しているのが駅から直接見えたのである。話は逸れるが、当時は石油コンビナートらしい景色と何も知らずに見ていたが、実際は廃ガスが目に見えて燃えるのは未だ精製の効率が悪いので決して威張れない事だと言う事を、仕事を始めてから教えられた。
 取引先の担当者からは、四日市駅からタクシーに乗れば15分程で着くと聞いている。そうは言われてもこの頃は滅多にタクシーに乗る事もないので、バスはないかちょっと調べたが土地勘のない悲しさで、やはりタクシーに乗る事にした。タクシーの初老の女性運転手に訊いてみたら、近鉄で二駅ほど戻った阿倉川から歩いて然程遠くない場所だと分かった。忙しい現役の人は鈍行の電車に乗ったり、駅から10分以上も掛けて歩く事など思いも付かないのであろう。しかし、僕は普段は時間はたっぷりあるから帰りは阿倉川の駅まで歩き、そこの駅員に名古屋に戻る一番早い方法を訊いたらそのまま鈍行で名古屋方面に行き、蟹江で急行に乗り換えるのが一番早いと教えてくれた。往きは特急料金とタクシー代を合わせて2,400円、帰りは540円、時間は似たようなものだった。今日は暑くも無く好天であったから、新幹線と近鉄線と打ち合わせで座り疲れていた身体に早足で10分強の散歩は心地良かった。
 帰りに大好物の津の銘菓「関の戸」を探したが、残念ながら見付からなかった。同じ三重でもやはり津まで行かないとだめなようである。