baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 ユダヤ人と中東和平

 9・11事件の10周年が近づいて来て、この頃あちらこちらでイスラム原理主義テロリストの事や中東和平の話題が出る様になった。そして、中にはイスラム教を全く理解していない報道も見受けられる。ブッシュ・ジュニアではないが、テロリストとイスラム教徒の区別位はしっかり付けて欲しいと思うのである。そんな事から、以前から時々このブログでも話題にしているが、この機会にまた少し日頃思う事を書いて見たい。
 少し前に後輩と話していた時に、「ユダヤ人と言う人種は民族的には存在しない。ユダヤ人とはユダヤ教を信奉する人達の総称である」と言われた。確かに僕のイメージも混乱していて、一方ではユダヤ人と言うのはシナイ半島辺りに起源をもつパレスチナ人と同類のセム系の人だと言うイメージがある反面、ワシ鼻の白人のイメージもある。だからユダヤ教で括られると、そうなのか、とその時は特に反論する材料はなかった。
 しかしその後少し本などを読んだのだが、僕には実体は益々分からなくなった。何故なら片やユダヤ教で括れば、そこにはモロッコ系やアラブ系など雑多の人種が包含される。西欧系のユダヤ教信奉者がそれらの有色ユダヤ人を対等に扱っているかと言えば、表向きはともかく間違いなく差別が存在していると聞く。実際イスラエル貧困層を形成しスラムに巣食っているのは、一に出稼ぎ労働者のパレスチナ人、二にモロッコユダヤ人であると言う。即ち、白系のユダヤ人は有色ユダヤ人を、例え同じユダヤ教の信奉者であっても本心ではユダヤ人とは認めていないのではなかろうか。実際イスラエルの建国後、白系ユダヤ人による有色ユダヤ人の虐殺事件は数多あるようである。本心では有色ユダヤ人はイスラエルから出て行って欲しいと思っている白系ユダヤ人も多い筈である。更にホロコーストの対象は白系ユダヤ人だった事も、その後白系がオリエント系と一線を画す原因ではないかと思う。
 他方、イスラエル人は全てユダヤ人と定義すれば、ユダヤ教を信奉しないアラブ系ユダヤ人、或いはパレスチナユダヤ人がイスラエルの全人口の2割ぐらい居ると言う。また、イスラエルの法律では母親がユダヤ人であれば子供は宗教や肌の色に関わらずユダヤ人と規定されると言う。即ち人口の2割位はイスラエル国籍を持ってはいるが、アラブ人を主とするユダヤ教徒ではないユダヤ人がいる事になる。1948年にイスラエルが建国された時には、民主的な国を標榜してシナイ半島の原住民であるアラブ人をもイスラエル人として受け容れる反面、イスラエルを世界中に離散しているユダヤ人の故郷としたから、その時点で既に矛盾を抱え込む事になったと言える。その後時代の移り変わりと共に、また政権により濃淡はあっても、パレスチナ人を放逐するようになる訳だが、未だに国内のイスラムイスラエル人は少なくないようである。結局は人口密度が極めて低い、主にイスラム教を信奉するベドウィンの地に、西欧がこぞって強引に新しい国を作って国境線を引き、世界各地に離散していたユダヤ人を一ヶ所に集めようとした無理があちらこちらに表出していると言える。特にその主犯はイギリスである。
 どうしてこんな回りくどい事を言うかと言うと、結局現在のテロの火種は、伝説の時代にまで遡る通称ユダヤ人の歴史とアラブ人の歴史、双方の異なる生活習慣や価値観、そして異なる宗教に起因するものであり、それに輪を掛けるのが戦後忽然と出現したイスラエルという他人の土地を収奪する新興国とそれを支持する西側諸国に象徴される、イスラムと西欧の戦い、新たな十字軍戦争に起因するのだという事を言いたいのである。それほど根が深くただでさえ複雑極まりないのだから、紛争解決が如何に困難かは想像に難くない。と同時に、イスラム側が一方的に非難される筋合いの物でもないのである。勿論、卑劣なテロはどちらの側であれ許されないのは言うまでも無い。
 今僕達の周囲ではイスラム原理主義のテロが常に非難の対象になるが、実はイスラム原理主義などという主義はこの世には存在しない。以前にもこのブログに載せたが、このネーミングは米国がテロリストを分かり易く表現する為に勝手に付けたものである。しかしこのネーミングが一般のイスラム教信者にとっては甚だ迷惑な訳で、本来のイスラム教とテロリズムは本質的には相容れないものである。こう言い切ると、そうは言っても現実のテロリストは皆イスラム教徒ではないかと言われそうだが、僕は世界で最強のテロリストは米国でありイスラエルであると思う。対テロ戦争の名の下に外国に攻め込んだり爆撃したり、オサマ・ビン・ラーデンを裁判もせずに殺害したりするのがテロではないとは思わない。ガザに戦車で踏み込んで、老若男女の分け隔てなく一方的に殺戮するのも、紛れもないテロであると僕は思う。何れも余りにも大っぴらで、自爆テロの様な世に言うテロと酷く懸け離れているだけである。非イスラム教徒にも物凄いロリストが存在するのである。
 確かにコーランにはジハード、即ち聖戦と言う言葉があり、兵士を戦場へ駆り立てる激烈な言葉がある。以前にもこのブログで書いたが、斯かる檄は預言者ムハンマドがメッカの異教徒の攻撃に曝されて、自己のイスラム教集団が全滅の危機に瀕した極く限られた時期に発せられている。その頃のムハンマドの言葉は、戦を忌避する人間を強く非難し、進んで戦場に赴く者に神の加護を約し、万が一にも戦死した時には神は間違いなくその善行に報いると戦士を鼓舞している。が、それ以外の時には争いを戒め、報復を戒め、平和を説いている。よくイスラム教が好戦的だという理由にコーランにある「目には目を、歯には歯を」と言う言葉が引き合いに出されるが、この言葉は実は復讐の薦めではなく、どんな理由があろうとも相手にやられた以上の事をしてはならない、という教えである。更に、出来る事なら復讐は我慢するに越した事はない、と別の場所にはっきりと書いてある。こういう平和主義が実はコーランを貫くイスラムの心である。イスラム教もキリスト教も、そして僕は不明だが先ず間違いなくユダヤ教も、本来は何れも平和を目指す宗教である筈なのだ。
 僕は決してイスラム教を庇う訳ではないが、西欧経由で日本に入って来ている誤ったイスラム教の認識は正したいと思う。米国の如くユダヤ人に経済、特に中枢の石油や金融を牛耳られている国の政府の発信は必ずしも正しいとは限らない。米国が国連の場を初めとして常にイスラエルを庇うからと言って、決してイスラエルが正しい訳ではない。大体からして、イスラエルの建国理念であるユダヤ人の定義が実はあやふやなのだから、イスラエルの対アラブ、対パレスチナのテロが是認される理由はどこにもない。勿論、所謂イスラム原理主義のテロも許されざるものである事は言うまでも無いが、それを言うなら同時に米国やイスラエルの大掛かりなテロ、或いは今も続くイスラエルによるアラブ人の土地の暴力による収奪も糾弾しなければ片手落ちなのである。