baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 「英語ができてもバカはバカ」が売れている

 マイクロソフト元社長の成毛眞が書いた掲題の「英語ができてもバカはバカ」という本が売れているらしい。そんな当たり前な事を書くだけで本が売れるのも情けないが、その程度の際物タイトルで本を出す人の知性にも疑問が生じる。英語はコミュニケーションの手段であるから、それが出来るから頭が良いなどと言う事は始めからあり得ない。米国や英国では幼児だって喋る言葉である。そして米国でも英国でも、英語は上手くても利口もバカもいる。
 他方で日本のそれなりの地位にあったり外国との仕事をする人、例えば今時の日本の首相や外務大臣や商社のトップには、英語程度は普通に喋れる位の素養はあって欲しいと言うのも僕の本音である。つまり英語は頭の良し悪しには全く関係ないが、やはり国際人としては出来るに越した事はないし、国際的に露出する機会の多い人にはやはり必要な素養であると思うのである。
 こんな本は買う気もないし読む時間もないが、本の広告を見ると筆者は幼児期からの英語教育も批判しているようである。実は僕も幼児期からの英語教育には、必ずしも賛成ではない。日本人は外国語に対して非常に耳が悪い。と言うのは日本語には子音と母音を合わせて48しかないのに対し、大抵の外国語には音がもっと遥かに多い。日本も平安時代までは今よりは随分音が多かった様で、「イ」と「ヰ」「エ」と「ヱ」などの区別も厳然と残っていたと聞くが、今はもうその片鱗も残っていない。ところがそういう微妙な音を聞き分ける耳は凡そ3歳までに出来上がる。だから幼児期に色々な音を聞かせて、それを聞き分ける能力を見に付けさせる事には意義がある。しかし親にそれだけの発音が出来ないし、3歳まででは会話は中々成り立たないから、これは高望みであり余り現実的ではない。
 一方で音ではなく言葉として外国語を幼児期から教える事には僕ははっきり反対なのである。人間は物を考える時には言葉で考える。そして、日本人であれば事の善悪、哲学、宗教、人生感、それらは全て日本語で考える。逆に日本の伝統や文化には日本語でなければ表現できない事象が多々あるから、日本語が出来なければ本当の日本人にはなり得ない。つまり日本人としてのアイデンティティを維持するには、日本語での思考が必須であると言うのが僕の持論である。ところが幼児期に、或いは日本人としてのアイデンティティが確立する前に、外国語を知識としてではなく言葉として教育してしまうと、つまり外国語で自然に会話が出来、外国語を使っている時にはその言葉で思考し自然にその言語で反応する様に教育してしまうと、その個人は母国語がなくなってしまう。自分が思索する時の元になる確たる言語がなくなってしまう。多くのバイリンガルの子女に、明らかにこの傾向が見られる。
 だから、端から外国人として育てるのでなければ、日本人の子弟には日本語での思考とコミュニケーションを確立させ、日本人としての自己を確立させて、その上で外国についての教育を重ねて始めて国際人となり得るというのが僕の持論である。国際人として更に自分を大きくして行くのは大いに結構な事であるが、日本人としての土台が不十分な処にいくら国際人としての素養を積み重ねて見たところで、所詮は砂上の楼閣に過ぎない。もとよりこの本で成毛眞が何を主張しているのか分からないが、外国語と利口、バカの議論は論外として、幼児期の英語教育に対する批判であれば、このブログ程度の紙面で足りるのではなかろうか。