baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 被災地のガレキ処理

 カンヌのG20の写真撮影をテレビで見ていたら、インドネシアのユドヨノ大統領が前列中央でオバマ大統領と並んで納まっていた。インドネシアも随分と偉くなったものである。野田佳彦はと見れば、中央列の右端にひょっこり立っていた。中国に抜かれたとは言え未だ未だ世界第三位の経済大国日本である。国際舞台ではもっともっとアピールして欲しいものである。もっとも席順が既に決まっていたのかもしれない、アイウエオ順で。
 被災地の瓦礫処理の圏外第一号として、昨日東京に30トン、僅かにコンテナー6本分、それも20フィートコンテナーらしい物が運び込まれて来た。放射能汚染については充分にチェック済みで、直接計測したら普段の新宿の放射能よりも低い値が計測された。それでも都庁には2000件以上の抗議が寄せられたと言う。一体何に文句があるのか、皆目見当も付かない。東京都が処理に協力するのはこれから2年強で僅かに50万トンにしか過ぎない。
 震災は誰も望んで招いたものではない。それでも被災した人と無事だった人、身内を無くした人と何事もなかった人がいる。人生の幸不幸である。そんな人生の悲喜の中で、幸いにも被害に遭わなかった者が少しでも被災者に手を差し伸べるのは至極当然である。聞けば瓦礫は被災地3県で2000万トンにも及ぶと言う。それだけの膨大な量の瓦礫を、3県だけで処理しろと言っても逆立ちしても無理である。困った時はお互い様、多少の努力で少しでも困った人たちの役に立てるなら、それ程嬉しい事はないではないか。放射能汚染にしても、汚染している瓦礫は絶対に持って来て貰っては困ると言うのも随分身勝手な事だと思うが、子供や幼児を抱えていれば勿論程度問題ではあるが、無碍に無視できる意見ではないのは納得出来る。しかし、今回東京に運ばれた瓦礫の放射線量は普段の新宿のそれよりも遥かに低いのである。それをも嫌がるのはどういう神経であろうか。どんなに困っている人がいようと少しでも危ういリスクがあるなら近付かぬに越した事は無い、と言う単なる身勝手以外の何物でもあるまい。
 大体この頃は、自分さえ良ければ全て良い風潮があちらこちらに見受けられる様になった。戦後の苦しい時代を共に生きた世代は、まだまだ互助の精神に富み、醤油や味噌の貸し借りから冠婚葬祭の人出の融通まで、お互い様の精神が満ち溢れていた。東京ですら、新年には隣近所で挨拶をして回ったものである。それぐらいある意味で連帯感、互助精神が生きていた。それが飽食相成った今はどうであろう。自分さえ良ければ後は野となれ山となれ、自分だけは、自分の家族だけは絶対にリスクに触れたくない、という超自己中心的な人間が如何に増殖したことか。逆に言えば、己の責任は顧みず他人の責任ばかりを追求する、厭な事は何でも他人に押し付け自分は安穏な生活に耽るのである。生活に困っている訳でもないのに、屁理屈をつけて給食代も払わない、自分が子供の躾けもろくにできないのに学校の先生の非を論うモンスター・ペアレント達にも通ずる社会現象と言えよう。石原慎太郎が言う「自分さえ良ければ、という自己中心主義者が日本をダメにしている」という意見に全く賛同するこの頃である。