baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 オウム真理教裁判終結

 今日は、オウム真理教関連の刑事裁判の最後の上告審判決で、被告の上告が棄却され、オカルト教団による一連の凶悪事件の裁判が全て終結した事になるそうである。そんな訳でテレビでも新聞でも、このニュースがこぞって流されている。
 地下鉄サリン事件の時は、僕はたまたま東京勤務であった。9時過ぎに部下から電話が入り、霞が関で事故があり自分も巻き込まれて病院へ搬送されたので、出社が遅くなるとの公衆電話からの連絡であった。その時には、僕は未だ何が起きていたのか知らなかった。結局彼はそれから数日入院する羽目になった。後から聞いた話だが、乗っていた地下鉄が霞ヶ関駅で止まってしまい、止むを得ず地上に出た処次から次へと重症の乗客が搬出されて来たそうである。未だ救急車も警官も来ておらず駅員や一部の乗客だけでは到底人出が足りず、人の良い部下は搬出されて道端に寝かされている被害者を元気づけ、ネクタイを緩めたりベルトを緩めて励ましながら救急車の到着を待っていたという。彼自身は地下鉄車内ではサリンには直接触れていなかったのだが、この時に間接的に毒ガスを吸引したらしい。その後間もなく彼も気分が悪くなり、病院に運ばれる事となった。そして、結局はサリン中毒に罹ってしまったのである。その結果、視野狭窄や頭痛などに10年近くも悩まされる事になる。今は元気にしているが、当時は程なく、商社では花形だった営業を外れてしまった。
 彼のような人は沢山いるのであろうが、何れもオウム真理教のテロに人生が狂ってしまった人達である。増してや地下鉄や松本でのサリン事件の犠牲者やその家族、或いは松本でしつこく犯人と疑われた人達の事を思うと、僕自身はこのブログに何度も書いた様に、個人的には死刑には反対だが、現行法制下では積極的にテロに関与した人間共には死刑以外に適切な処罰はないと思う。そこにはマインド・コントロールされていただとか麻原彰晃には逆らえなかった、などと言う弁護団常套の弁解はあろうが、決して知能が低い訳でもない人間に判断力が完全に喪失すると言う事はあり得まい。後からの泣き言は聞き苦しい。
 それにしても、オカルト宗団とは恐ろしい。以前米国でも、集団自殺したりするオカルト宗団が話題になった。オウムの場合は、幹部には医者や弁護士などの高学歴で高収入の、所謂エリート族が沢山いた。それがどうしてあんな馬鹿げた洗脳にまんまと引っ掛かってしまうのであろうか。脱会すれば殺されると言う恐怖はあったかも知れない。だが、やはり常人にはその精神状態がどうしても理解出来ない。そんな中で麻原彰晃の右腕とも言われた上裕史裕が一人のうのうと逮捕もされず告訴もされず、従い死刑にもならずに教団の名前を変えて、未だに信徒を集め教団を存続させている事が許せない。オウム真理教の幹部が13人も死刑判決を受けるのに、どうして上裕史裕一人は何の咎めも受けないのであろうか。そして、何の反省もせずにアレフなどと言う新しい名前を付けて、相も変わらずまやかしの宗教で金集めをし、みすみす人生を棒に振る犠牲者を次々に掻き集めている。
 日本は平和で良い国だとは思うが、大きい処ではアレフ暴力団、近い処では悪質なストーカーや家庭内暴力犯に対する検察や警察の対応には歯痒さを禁じ得ない。具体的な事件を起こさない限り、或いはそういう事件が表沙汰にならぬ限りと言った方が正鵠を射ているかも知れないが、一切手出しをしないだけではなく、予防措置も講じない。要は、事件になるまでは放っぱらかしなのである。その結果、尊い命がみすみす犠牲になる。治安維持法の再来は困るが、それにしてもその悪質性が明白な事例についてはもう少し何とかならぬものかと日々歯痒い思いである。それと平岡秀夫法相は、就任当時の公然たる職務放棄発言を翻して、最近になってやっと自分が法相の間も死刑執行はあり得ると口だけの自己批判をしたが、本当に執行命令書に判を押す勇気があるかどうか。国民によもや異論はあるまいオウム事件の死刑囚を次々に執行して、国民に己に二言は無い事を示したら良い。