baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 「ふしぎなキリスト教」

 知人に面白いと教えられ、今売れているという「ふしぎなキリスト教」と言う本を読んでみた。二人の社会学者の対談が活字にされた本である。噛み砕いた表現で一般にも分かり易く書いてある割には、時々普段は聞き慣れない言葉が出て来て内容を咀嚼するのに少し時間が掛る事もあったが、それなりに面白く読み終えた。普段聞き慣れないと言うのは、哲学の言葉がドイツ語やギリシャ語そのままのカタカナで時々出て来るのだが、日頃哲学とは縁のない上に元々浅学な僕には、学生を卒業してからはとんと縁のなかった言葉に、その意味が即座に想い出せなかったのである。ただ、何れも哲学では一般的に使われる言葉だから、お恥ずかしい限りなのである。
 本論のキリスト教については敢えて僕のコメントは差し控えるが、非常に冷徹な分析を加えていて、キリスト教徒が読んだら読み様によっては相当腹が立つかも知れない。一方、イスラム教については殆ど記述は無いが、ムスリムが聞いたら即座に否定するであろう形容が出て来た。即ち、イスラム教はキリスト教の後から教義を整理し直して出て来た宗教、とあったのである。しかしイスラム教徒に言わせれば、ユダヤ教キリスト教も同じ唯一の神が遣わした預言者の言葉がその後の人間達に曲げられてしまい、信仰が誤った方向に行ってしまったので、改めて最後の預言者に神の言葉を正しく、直接伝えさせたものであって、何ら教義を整理し直す様な必要はなかった、となる。従い、旧約聖書も、新約聖書の歴史的な逸話も、何れもそのままクルアーンにアラーの所業として再出する、と言う訳である。
 それはさておき、僕が特に面白く読んだのは、マルクス主義が如何にキリスト教的であるか、日本人の無神論は神に支配されたくないから、といった下りである。特に日本人については殆ど紙面は割かれていないが、つい先日ある外国人に「日本人は無神論者だと聞いたが、実際には日本人も神を信仰しているではないか」と言われたばかりなので殊の外面白く読んだ。ここでは筆者は「日本人は主体性が大好きで、努力が大好きで、努力でよりよい結果を実現しようとする。その努力をしない怠け者が大嫌いで、神まかせも大嫌い」と断じている。そして神道では神を沢山作って個々の神の勢力を限定し、且つ拝む事によって支配されるのを避ける為に偶像を作らなかったと言う。確かに神社には狐の石像位しか見当たらない。僕は今まで余り日本人と宗教について考えた事がなかったので、甚く興味深かった。